アーカイヴス その28 2時間遅れのライヴって? | やせっぽちのヒロシのブログ

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趣味は国際交流?(笑)。

もう17年も前のことですが、今も思い出すたびに腹が立ちます(^_^;)

 

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3/28 Lauryn Hill @横浜BLITZ

もし定刻くらいに始まり、ふつうに見終わっていたなら、「いいショーだったね」と、帰り道にN氏やY氏と語り合いながら、横浜駅近くの居酒屋さんにでも寄って、乾杯.....となっていたのだろうけれど.....。

本来ならとっくに入場が始まっていたはずの18:30ごろに横浜ブリッツに着くと、敷地は人であふれていた。
まだ開場していなかったのだ。
それも係員はその理由を一切言わない。ただ並べと言うだけ。
19:00近くになって、やっと開場。僕が入ることが出来たのは、通常なら開演している時刻であろう19:10頃だった。

例によってオッサン3人なので、1Fの立見でなく2Fの指定席を買っていたのだが、それをこれほどありがたく思ったことは今までない。
何せ始まらないのだ。1Fを見下ろすと、ギューギューで身動きの取れない状態のようだった。
既に20:00を過ぎていた。そして、ようやくアナウンスされた主催者からの第一声に耳を疑った。
「本日は開場時間ならびに開演時間が大幅に遅れて、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。Ms.ローリン・ヒルは、皆様に最高のショーをお見せするために、入念な準備をし、只今ホテルを出ました。」
もう呆れて物が言えなかった。
ということは、開場時間の遅れも、リハーサルが延びたとかいうことではないだろう。
今日はたまたま暖かい日だったけれど、1Fの立見の人は、整理番号順とはいえ、少しでもいいポジションを取るために、開場予定時刻の前から来ていたことだろうし、この時点でもう2時間待たされていることになる。そしてそれまで何の説明もなかったわけだ。
更に30分くらいして「あと5分くらいで到着いたします」というアナウンス。
結局主催者からのアナウンスはこの2回のみ。
そして、開演時刻は、21:00を過ぎていた。
それも待ちくたびれた客が多数喫煙所やロビーやトイレなどへ行って席を外していたのに、事前の開演予告もなく、いきなり客電が落ちたのだった。

さすがに最高のショーを見せるために2時間も開演時間を遅らせただけのことはあり、バンドの演奏は申し分なかったし、レゲエやラップも盛り込み、たたみかけるような歌を聞かせるローリンは(多少声の荒れは気になったが)迫力満点だった。
あの異色の「Unplugged」はやはり彼女にとっては通過点だったのかもしれない。
次々に飛び出すカヴァーも秀逸で、ドアーズの"Light My Fire"も飛び出し、ボブ・マーリーの"Iron Lion Zion"もあったけ? デルフォニックスの"Ready Or Not"では思わず身を乗り出したけれど、ヴァンデラスの"Heatwave"から自身のヒット"Doo Wop(That Thing)"につないだころには声がヨレヨレになっていたし、やっぱり僕の中では最後まで2時間遅れのモヤモヤが消えることはなかった。

また、多分本当にローリンが好きで3時間も待ったのであろう1F前方の人たちの無邪気な熱狂ぶりを見て、更にむなしくなっていた。
これだけ迷惑をかけた当の本人は、「遅れてごめんなさい」の一言も無く、ただただ観客を煽るだけ。それでも彼らは近くで見るローリンに興奮している。
一方2Fの客は僕も含めて醒めている人が多く、拍手もまばら。
その間にも途中で帰ってしまう人が何人もいたが、これはおそらく遠くから来ていて帰りの電車が無くなってしまうので、仕方なく会場を出たのに違いない。
誰だって19:00開演のライヴが21:00過ぎても始まらないという事態を予想できるわけがない。
1時間20分くらいで本編が終わったあとのアンコールも、ローリンはジラしにジラして登場したけれど、もう完全に僕はこの人の人格を信用できなくなった。
もしかしたら本人の体調の悪さとかもあったのかもしれないが、それは自己管理の問題でもあるし、言い訳にはならない。

アーティスト側の責任は大きいが、またそれ以上に、今回は主催者の対応の悪さと誠意の無さを強く感じている。
少なくとも開場時刻にはこうなることが予測できたはずだし、遅れることを客に正直に公表し、開場時間を遅らせ客に食事をするように促すとか、払い戻し希望者にも応じるとかの措置を取れなかったものだったろうか?
それが不可能であったとしても、中で待たされている間、説明らしい説明も釈明もなかったことには、納得がいかない。
内容がどうのこうのではなく、興行として最悪のショーだった。

 

(追記)あと、ライヴの時気になったのは、場所が横浜であったにも関わらず「Tokyo」を連発していたことで、彼女に限らず横浜でも川崎でもよくそういうことはあるけれども、おそらく次の幕張メッセでも「Tokyo」なのでしょうね。

 

2007年3月29日 記

 

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この後も彼女は来日していたかもしれませんが、もう彼女に対する興味は全く無くなりましたので、もはやどうでもよくなりました。そもそもこの10何年か新作すら出していないのではないでしょうか?