アーカイヴス その7 日本語の歌詞によるジャズ・スタンダード@Lady Jane 2006年7月 | やせっぽちのヒロシのブログ

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ある日本人ジャズ・シンガーが歌うスタンダードが、そのあまりにも日本人的なイントネーションの英語ゆえにどうしても好きになれない。その人が時折歌う日本語の歌はとても素晴らしいのだけれど。
その人に限らず、日本人相手に決して上手いとは思えない英語で歌われる、日本人ミュージシャンのジャズ、ソウル、ブルース、ロック、カントリー、ブルーグラス、フォークなどには、昔から抵抗があった。勿論全てがという意味ではなくて、英語で歌っても素晴らしい人は沢山いるのは認める(念のため)。
ただ、そういった下手な英語で聞かされるくらいなら、60年代のポップスのように、日本語の歌詞をつけて歌ってくれた方が、よっぽど良いのにと思っていた。勿論、原詞のイメージを壊さずに、かつ字余りソングみたいにはならずに、という注文つきだけど。

やはり普段は英語でスタンダードを歌っているさがゆきが、突然日本語の歌詞を自分でつけて歌うようになったのは、今年の春かららしい。本日共演の小室等との初共演のリハを控えた前夜に突然インスピレーションが沸いてきて、たちまち10数曲が出来上がったということだった。
当然僕は興味を持ち、機会あればそれを聴いてみたいと思っていたところ、今回のライヴを知り、7/16、久々に下北沢のLady Janeに向った。

空を打つ波
小室等 [vo・g]
さがゆき [vo]

スタンダードだけでなく数々のフリー・ジャズ・セッションを行なっているさがゆきと、フォークの長老小室等との共演。一見ミスマッチのように思えるけれど、この二人には、永六輔&中村八大、谷川俊太郎&賢作父子など、共通の人脈もあり、また二人とも様々なジャンルの人たちとの共演も多く経てきているだけあって、意外にピッタリとハマっていた。

まず和田誠が歌詞をつけたという「Stardust」から。
小室の歌とギターに、さがのミュート・トランペット風のヴォイスが絡む。途中、佐久間順平作詞の「Sweet Sue」(僕はJim Kweskin Jug Bandで知った)、更に井上陽水の「結詞」、中村八大「上を向いて歩こう」「黄昏のビギン」、武満徹「翼」「小さな空」などをのぞいては、ジャズのスタンダードにさがゆきが日本語詞をつけたもの。メモを頼りに曲目を並べると「It's Only A Paper Moon」「Don't Get Around Much Anymore」「Somewhere Over The Rainbow」「I'll Be Seeing You」「East Of Eden」「What A Wonderful World」「Autumn Leaves」「Bei Mir Bist Du Schon(素敵なあなた)」「Tea For Two」「Lover Come Back To Me」「I Thought About You」「When I Wish Upon A Star」といったところだったろうか?(2~3、抜けているかもしれない)
リード・ヴォーカルは二人が分け合うように歌っていたが、どちらかがリードを取るときはもう片方がハーモニーをつける。これまで小室等の歌うジャズ・スタンダードなんて聴いたことがなかったので、不思議な気分だった。
そして、何よりも、「自分はこれしかできないから」と言って、変に小粋にスウィングなんかせず、フォークのスタイルで押し切ったギター奏法に、彼の潔さを見た。

かなり自己解釈による詞もあったようだが、すべて男言葉で歌われる歌詞は、さがゆき本人のMCによると、先のインスピレーションが沸いた時、自分の中では(イメージとして?)小室等がそれらの歌詞を歌っていたということだった。
それらの歌詞を聴いているうちに、僕は一連の六輔・八大コンビの楽曲を思い出してしまった。
あの永六輔のちょっとはにかんだような歌詞は、いかにも昭和ヒトケタ生まれのロマンティシズムによるものだと思うが、もともと中村八大グループ最後のバンド・シンガーをつとめていた彼女だけに、それらの影響を受けていたように感じたのだった。

歌の合間のMCがまた興味深い話満載で、小室の語る武満秘話、さがの語る晩年の八大エピソードなど、他ではなかなか聞けないもの。
正直全ての楽曲に満足した訳ではないけれど、二人の和気藹々とした気分の伝わる、気持ちの良いライヴだった。
多分回を重ねるごとに、お互いが慣れていき、レパートリーも増え、また面白さを増していくのではないかと思う。

そして、打ち上げが始まり、さが氏は奮発してラム酒のボトルをキープし、皆にふるまう。小室氏も、テレビやステージでの印象同様、大変人当たりのいい人で、更に色々と面白い話を伺うことができた。
さが嬢は例によってオフレコ話も飛び出し、それはここで書くことは控えるが、両者とも著作権には色々振り回されているらしい。
まだまだ宴は続いていたが、気がつけばもう11時半近く。
名残惜しいが、終電をのがすと厳しいし、さがファンのS協会さんがオーダーしてくれたツマミもこれから来る...というところで、残念ながら店を出た。葛飾住まいというのは、こういう時、いつも悲しい思いをする。

ちなみに、その前日は、ニューオーリンズのピアニスト、Henry Butlerのライヴを見に行った。これも素晴らしいライヴだった。
前半はインストでジャズのスタンダードを、後半は弾き語りでR&Bナンバーを中心に歌ってくれたが、超絶技巧で大胆に崩したアレンジながらも、ひとつひとつの曲がきちんと成立しているところに、彼のアーティストとしての存在感は勿論のこと、スタンダード・ソングの生命力の逞しさも存分に味わった。

 

2006年7月18日 記

 

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久々に読み返してみて、昔は本当に精力的にライヴを観に行っていたな...と我ながら感心してしまいました(笑)。この日はなんとか終電に間に合いましたが、間に合わず朝まで時間を潰したり、行けるところまで行ってタクシーを利用したり、ある程度目安のつく距離だったら歩いて帰ったことも何度かあります。音楽そのものに対しても今よりずっと貪欲だったみたいです。