山中鹿之助(鹿介)首塚
戦国時代の終わり、毛利に滅ぼされた尼子(あまご)氏の家臣山中鹿之助は、
主家の再興を願い兵を挙げました。
1578(天正6)年岡山県の高梁川阿井の渡しで討たれ、
毛利輝元や足利義昭に首実検をされました。
岡山県の阿井の渡しには胴塚があります。
「願わくば我に七難八苦を与え給え」
尼子氏は中国地方に一大勢力を築いた戦国大名であったが
毛利元就の居城・吉田郡山城(広島県高田郡吉田町)攻撃の失敗、
当主・経久の死亡などで衰退の一途をたどっていた。
ただ鹿之助が生まれた頃には、周防山口(山口県山口市)の
大名・大内義隆の出雲遠征軍を撃退したり、
因幡・伯耆(鳥取県全域)を攻略するなど勢力回復の兆しも見え始めていた。
しかし天文23年(西暦1554年)、一つの事件が起こる。
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