龍馬伝 第13回 「さらば土佐よ」 その背景 吉田東洋という男
ちょっと残念な脚本でしたかね~?
いわゆる「置きにいった脚本」とでもいうのでしょうか?
まあ、歴史的事実として、
龍馬を脱藩させねばなりませんし、
その前に毒殺されるはずはありません。
![大河ドラマ 龍馬伝](https://stat.ameba.jp/user_images/20100329/00/thinkmacgyver/69/9d/j/o0380024010471601137.jpg?caw=800)
そして、吉田東洋は斬り殺されなくてはなりません。
この予め敷かれている線の上を通らなければなりませんので、
致し方なしともいえるのでしょうか?
田中泯さんの吉田東洋が大好きでした。
ただ、東洋の最期が残念でしたね。
吉田東洋は頭脳のみならず、
剣の腕も一流だったと伝えられていますが、
あの殺陣は…
いや、あれは酔っていた吉田東洋を演じるために…?
さて、この「龍馬伝」でも、
吉田東洋の扱いには困っていたように感じました。
![大河ドラマ 龍馬伝](https://stat.ameba.jp/user_images/20100329/00/thinkmacgyver/0d/fa/j/o0380027110471601148.jpg?caw=800)
福山龍馬も言っていたように、
彼は悪人ではないのかもしれません。
彼個人の、この時代情勢に対する思想は、
穏健派で慎重派、そして公武合体及び、
開国の考えを持っていたとされています。
彼に関するエピソードとして興味深いのは、
藩主・山内容堂の面前で、
彼の親戚(旗本)の髪をふん掴み、
ぶん殴ったというもの。
「龍馬伝」でもそれらしき台詞があったような気がしますが、
この時、容堂に蟄居謹慎を命じられています。
その後、この間もお書きしたばかりの将軍継嗣問題で、
容堂が水戸の徳川斉昭、松平春嶽らとともに、
一橋慶喜をと運動していたために、
大老、井伊直弼から責められた際、
江戸に呼び出され、この主君の難局を切り抜けたそうです。
(どう切り抜けたのは私の資料にはありません…)
ここで藩主の信を得た東洋は
土佐の藩政改革に着手。
その内容は、海防や造船、大砲の製造、
農林水産物の増産、
そして、民兵制度の採用と、
上士下士にとらわれない人材登用などを手がけています。
彼が頭脳明晰なのは明らかで、
この時点で、水を得た魚のように働いています。
一方で、土佐の身分制度を無視する東洋に対し、
あるいは、急激な改革に対し、
藩内にも多数の敵を作ったそうです。
さて、彼には激情家の一面があり、
殿様の親戚を殿様の前でぶん殴った事件もそうですが、
それ以前に、21歳の頃、自宅の使用人を口論の末、
死なせています(殺した?)。
その東洋の前に今、
200人余りの勢力となった
武市半平太率いる土佐勤王党が現れました。
東洋はとにかく、
この土佐勤王党をとことん嫌っていました。
武市半平太は吉田東洋に、
薩摩、長州の動きを説きます。
我が土佐藩も藩を挙げての尊皇攘夷へ、
つまり、土佐勤王党が目指す「一藩勤王」を、
という訳です。
「龍馬伝」ですと、第9回の内容に合わせてお書きした、
「土佐 - 薩摩・長州との違い」
江戸での桂小五郎との会話は、
このあたりに繋がるんでしょうけれど、
半平太が土佐に戻ってから、
東洋 v 半平太は描かれませんでしたね。
門前で蹴り飛ばされはしていたのが
それに相当するんでしょうが。
ともあれ、この半平太の論説を、
「書生の机上論」として、
東洋は馬鹿にするばかり。
文久二年(1862)の四月八日、
参勤交代を控えた現土佐藩主、豊範らに
頼山陽の日本外史の本能寺の変について、
進講していた夜でした。
その後、酒が振る舞われ、
東洋は酔って帰途に着きました。
そして、一刀流・大石神影流の使い手の彼も、
酒に酔っていたためか、
那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の3人に斬り殺されるのでした。
![大河ドラマ 龍馬伝](https://stat.ameba.jp/user_images/20100329/00/thinkmacgyver/46/f3/j/o0380022510471601157.jpg?caw=800)
![ねてしてタペ](https://stat.ameba.jp/user_images/20100124/19/thinkmacgyver/ba/0e/j/o0380014710387375617.jpg?caw=800)
いわゆる「置きにいった脚本」とでもいうのでしょうか?
まあ、歴史的事実として、
龍馬を脱藩させねばなりませんし、
その前に毒殺されるはずはありません。
![大河ドラマ 龍馬伝](https://stat.ameba.jp/user_images/20100329/00/thinkmacgyver/69/9d/j/o0380024010471601137.jpg?caw=800)
(このシーンは要りませんよね…)
そして、吉田東洋は斬り殺されなくてはなりません。
この予め敷かれている線の上を通らなければなりませんので、
致し方なしともいえるのでしょうか?
田中泯さんの吉田東洋が大好きでした。
ただ、東洋の最期が残念でしたね。
吉田東洋は頭脳のみならず、
剣の腕も一流だったと伝えられていますが、
あの殺陣は…
いや、あれは酔っていた吉田東洋を演じるために…?
さて、この「龍馬伝」でも、
吉田東洋の扱いには困っていたように感じました。
![大河ドラマ 龍馬伝](https://stat.ameba.jp/user_images/20100329/00/thinkmacgyver/0d/fa/j/o0380027110471601148.jpg?caw=800)
福山龍馬も言っていたように、
彼は悪人ではないのかもしれません。
彼個人の、この時代情勢に対する思想は、
穏健派で慎重派、そして公武合体及び、
開国の考えを持っていたとされています。
彼に関するエピソードとして興味深いのは、
藩主・山内容堂の面前で、
彼の親戚(旗本)の髪をふん掴み、
ぶん殴ったというもの。
「龍馬伝」でもそれらしき台詞があったような気がしますが、
この時、容堂に蟄居謹慎を命じられています。
その後、この間もお書きしたばかりの将軍継嗣問題で、
容堂が水戸の徳川斉昭、松平春嶽らとともに、
一橋慶喜をと運動していたために、
大老、井伊直弼から責められた際、
江戸に呼び出され、この主君の難局を切り抜けたそうです。
(どう切り抜けたのは私の資料にはありません…)
ここで藩主の信を得た東洋は
土佐の藩政改革に着手。
その内容は、海防や造船、大砲の製造、
農林水産物の増産、
そして、民兵制度の採用と、
上士下士にとらわれない人材登用などを手がけています。
彼が頭脳明晰なのは明らかで、
この時点で、水を得た魚のように働いています。
一方で、土佐の身分制度を無視する東洋に対し、
あるいは、急激な改革に対し、
藩内にも多数の敵を作ったそうです。
さて、彼には激情家の一面があり、
殿様の親戚を殿様の前でぶん殴った事件もそうですが、
それ以前に、21歳の頃、自宅の使用人を口論の末、
死なせています(殺した?)。
その東洋の前に今、
200人余りの勢力となった
武市半平太率いる土佐勤王党が現れました。
東洋はとにかく、
この土佐勤王党をとことん嫌っていました。
武市半平太は吉田東洋に、
薩摩、長州の動きを説きます。
我が土佐藩も藩を挙げての尊皇攘夷へ、
つまり、土佐勤王党が目指す「一藩勤王」を、
という訳です。
「龍馬伝」ですと、第9回の内容に合わせてお書きした、
「土佐 - 薩摩・長州との違い」
江戸での桂小五郎との会話は、
このあたりに繋がるんでしょうけれど、
半平太が土佐に戻ってから、
東洋 v 半平太は描かれませんでしたね。
門前で蹴り飛ばされはしていたのが
それに相当するんでしょうが。
ともあれ、この半平太の論説を、
「書生の机上論」として、
東洋は馬鹿にするばかり。
文久二年(1862)の四月八日、
参勤交代を控えた現土佐藩主、豊範らに
頼山陽の日本外史の本能寺の変について、
進講していた夜でした。
その後、酒が振る舞われ、
東洋は酔って帰途に着きました。
そして、一刀流・大石神影流の使い手の彼も、
酒に酔っていたためか、
那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の3人に斬り殺されるのでした。
![大河ドラマ 龍馬伝](https://stat.ameba.jp/user_images/20100329/00/thinkmacgyver/46/f3/j/o0380022510471601157.jpg?caw=800)
![ねてしてタペ](https://stat.ameba.jp/user_images/20100124/19/thinkmacgyver/ba/0e/j/o0380014710387375617.jpg?caw=800)