龍馬伝 第13回 「さらば土佐よ」 その背景 吉田東洋という男 | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

龍馬伝 第13回 「さらば土佐よ」 その背景 吉田東洋という男

ちょっと残念な脚本でしたかね~?

いわゆる「置きにいった脚本」とでもいうのでしょうか?

まあ、歴史的事実として、
龍馬を脱藩させねばなりませんし、
その前に毒殺されるはずはありません。

大河ドラマ 龍馬伝
(このシーンは要りませんよね…)


そして、吉田東洋は斬り殺されなくてはなりません。

この予め敷かれている線の上を通らなければなりませんので、
致し方なしともいえるのでしょうか?


田中泯さんの吉田東洋が大好きでした。
ただ、東洋の最期が残念でしたね。
吉田東洋は頭脳のみならず、
剣の腕も一流だったと伝えられていますが、
あの殺陣は…

いや、あれは酔っていた吉田東洋を演じるために…?


さて、この「龍馬伝」でも、
吉田東洋の扱いには困っていたように感じました。

大河ドラマ 龍馬伝

福山龍馬も言っていたように、
彼は悪人ではないのかもしれません。
彼個人の、この時代情勢に対する思想は、
穏健派で慎重派、そして公武合体及び、
開国の考えを持っていたとされています。

彼に関するエピソードとして興味深いのは、
藩主・山内容堂の面前で、
彼の親戚(旗本)の髪をふん掴み、
ぶん殴ったというもの。
「龍馬伝」でもそれらしき台詞があったような気がしますが、
この時、容堂に蟄居謹慎を命じられています。

その後、この間もお書きしたばかりの将軍継嗣問題で、
容堂が水戸の徳川斉昭、松平春嶽らとともに、
一橋慶喜をと運動していたために、
大老、井伊直弼から責められた際、
江戸に呼び出され、この主君の難局を切り抜けたそうです。
(どう切り抜けたのは私の資料にはありません…)

ここで藩主の信を得た東洋は
土佐の藩政改革に着手。
その内容は、海防や造船、大砲の製造、
農林水産物の増産、
そして、民兵制度の採用と、
上士下士にとらわれない人材登用などを手がけています。

彼が頭脳明晰なのは明らかで、
この時点で、水を得た魚のように働いています。
一方で、土佐の身分制度を無視する東洋に対し、
あるいは、急激な改革に対し、
藩内にも多数の敵を作ったそうです。


さて、彼には激情家の一面があり、
殿様の親戚を殿様の前でぶん殴った事件もそうですが、
それ以前に、21歳の頃、自宅の使用人を口論の末、
死なせています(殺した?)。

その東洋の前に今、
200人余りの勢力となった
武市半平太率いる土佐勤王党が現れました。

東洋はとにかく、
この土佐勤王党をとことん嫌っていました。

武市半平太は吉田東洋に、
薩摩、長州の動きを説きます。
我が土佐藩も藩を挙げての尊皇攘夷へ、
つまり、土佐勤王党が目指す「一藩勤王」を、
という訳です。

「龍馬伝」ですと、第9回の内容に合わせてお書きした、
土佐 - 薩摩・長州との違い
江戸での桂小五郎との会話は、
このあたりに繋がるんでしょうけれど、
半平太が土佐に戻ってから、
東洋 v 半平太は描かれませんでしたね。
門前で蹴り飛ばされはしていたのが
それに相当するんでしょうが。

ともあれ、この半平太の論説を、
「書生の机上論」として、
東洋は馬鹿にするばかり。



文久二年(1862)の四月八日、
参勤交代を控えた現土佐藩主、豊範らに
頼山陽の日本外史の本能寺の変について、
進講していた夜でした。
その後、酒が振る舞われ、
東洋は酔って帰途に着きました。

そして、一刀流・大石神影流の使い手の彼も、
酒に酔っていたためか、
那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の3人に斬り殺されるのでした。

大河ドラマ 龍馬伝

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