ひき算の概念
彼は、知っていることを述べるだけで考えなかった。
言葉は多く知っている。しかし、現実を考えて言葉を使わなかった。
ほとんど思いつきで考えなかった。
思いつきで問題解決できたら、ラッキーです。
でも、そんなラッキーは、いつも必ず起こりません。
いつも必ず起これば、それはもうラッキーではないのですから。
問題を解決するには、考えることが必要です。
彼は言った
「 差がわかっていない。つまり、ひき算の概念がわかっていない。
だから、ひき算の概念を教えないといけない。」
「 おはじきを使う!そんな幼稚なことじゃないんだ。
差を ひき算の概念を教えないといけないんだよ。」
「 2つの数を比べて、その差をもとめることを教えないといけないんだよ。
それがひき算の概念なんだ。」
「 君は、専門 の学生でもない 素人でしょ。」
「 ここは、君と議論する所じゃないんだ。
お子さんとお母さんに助言を与えるためなんだ。」
「 お母さんも専門家である学校の先生に相談しなさい。
専門家である学校の先生がいい助言を与えてくれますから。」
そのお母さんは言った
「 最近、ひき算のテストで 0 点を取りました。
この子も 0 点を取ったことにショックを受けています。」
「 たし算はできますがひき算ができません。」
「 学校の先生に相談しましたが、理解が遅い子だからと言われました。」
「 この子が少しでもひき算ができるようになるために、来ました。よろしくお願いします。」
私は言った
「 ひき算の概念を教えると言っても、小学1年生には難しくないですか。」
「 ちょっと待っ ・ ・ ・ 」
と外言するやいなや
私は次のように内言した
( アホか バカか 学校の先生に相談しても イマイチ だから、ここに来たのに。)
( お母さんの話をちゃんと聞いてないのか。)
彼 : 最難関の国立大学を卒業して、首都圏の国立大学の教育学部の助教授らしい
専門は 教育学 か 教育心理学らしい
そのお母さん : 区立小学校1年生の子をもつ
私 : 東京の大学に通っていた学生の頃の私
今後、「 彼 」 のことを 〔助教授〕 とします。
〔助教授〕は、思いつきで「概念」という言葉を使ったため、
言葉のもつ概念により、
結果的に 自分自身を追い込むことになった。
1980年前後のある年の6月
私の通っていた東京の大学で1つのシンポジウムが開かれた。
司会者は、その大学の 社会福祉学を専門とする助教授の ゼミ生。
助言者は、社会福祉学の助教授 と その知り合いの 〔助教授〕。
問題 ( テーマ ) となったのは、発達について ( 引き算でつまずいている子 ) 。
区立小学1年生の子 と そのお母さんが出席。
その大学のさまざまな学部の学生と 〔助教授〕の ゼミ生。
総勢二十数名。
次回 ひき算の概念 2 「差」 につづきます。