過酷な状況で働いている技能実習生が多いと聞くと、1980年代に雨後のタケノコのように日本語学校が建てられた時のことが思い出される。
私はそうしたタケノコの一つで日本語を教えていた。
当時は、日本語教師の資格というものさえ存在しなかった。
受け入れ体制が整っていなかったことをいち早く利用したのは、犯罪組織だったろう。
当時まだ貧しかった近隣諸国の若い女性の中には、売春をして祖国に仕送りをしている子もいると聞いた。
教室には、そのような女性と大学進学や起業を目指している青年、祖国の勤め先の会社に学費を出してもらっている人など、あらゆるタイプの「留学生」が混在していた。
風俗で働いている女性の方が、会社のお金で来ている人より一生懸命勉強して日本語が上達する場合もあった。
ある日、新しいクラスの授業に入る前、担任から一人の学生について注意を受けた。
「彼女は授業に参加する気がないから放っておいていいですよ。」
ブラックな「出稼ぎ」に来ている女性だった。
けれども私は彼女を授業に巻き込もうと思い、他の学生と同じようにあてていた。
「〜曜日に…します」という文型の練習中、私は彼女に「日曜日に何をしますか?」という質問をふった。
彼女は真面目な顔をして少し考えた。
そして
「考えること…します」と言った。
教室中がしんとなった。
私は胸を突かれた。
すぐに何気ない風を装って、授業を回し続けた。
当時、私は彼女と同じくらいの年だった。
一人になると、涙がこぼれてきた。
彼女は私の何倍もの涙を流していただろう。
考えること、する時。
