『自分らしい仕事、自分らしい働き方』をテーマにした「スゴロクで学ぶユーチューブ」講座の39回目です。
今回は、桐下駄を作っていた新潟の小さな木工会社を世界的バトミントンメーカーに成長させた米山さんが主人公です。
ゲームのタイトルは《木工加工業から世界のバトミントメーカーに!》です。
(「スゴロクで学ぶユーチューブ」でご覧いただけます)
『ヨネックス米山稔負けてたまるか』
『越後の雪だるま ヨネックス創業者米山稔物語』
を参考文献に制作しています。
米山さんは、沖縄戦争を戦った後、故郷の新潟に戻り
父の残してくれた木工加工業を再開します。
そして、バトミントンラケットからゴルフクラブまでを製造する年商700億円を超えるスポーツメーカーに成長します。
ゲームの主な内容は
1沖縄戦で捕虜、解放されて故郷に帰還
2木製浮きがプラスチック化、注文ゼロ
3取引先が倒産、自社ブランドで再建を開始
4工場火災、レジャー用から競技用にシフト
5自社開発のアルミ製ラケットが大ヒット
6テニスラケットもヒット、ウィルソンと訴訟
7グルフクラブ販売、日本ゴルフ協会と訴訟・・・・です。
工場再開で儲かる木工製品として製品化したのがサケ・マスなどの漁業用の「木製浮き」でした。
「浮き」の製造・販売は大成功します。
会社も急成長、またたくまに従業員も10人を超えます。
ところが、「木製浮き」が「プラスチック製」に変わります。
「木製浮き」は、全く売れなくなります。
そこで、経営危機に陥った会社の再建事業で始めたのがレジャー用のバトミントンラケットの製造です。
最初は、大手メーカーの下請け(OEM生産)でした。
そのOEM生産の発注先が倒産し、再起を図るため自社ブランドによる製造・販売に切り替えます。
自社ブランド販売が軌道に乗り始めたとき本社工場が火事になります。
販売先や材料供給を受けている取引先の信用をつなぎ留めるため、3日間で工場を再開します。
その後、レジャー用バトミントンラケットは低価格の台湾製にシェアを奪われはじめます。
レジャー用では海外の低価格製品に勝てないと判断、競技用ラケット生産に事業転換します。
競技用ラケットは金属製で、イギリスが特許を持っていました。
イギリスからの特許導入ができず、独自のアイデアでアルミ製の新商品開発に成功します。
七転び八起きの精神で、多くのピンチをチャンスに変えヨネックスを世界的なバトミントンメーカーに育て上げました。
そして、バトミントン開発を通じて学んだ技術開発の力でカーボン製のゴルフクラブなどを商品化します。
ヨネックスの開発力があれば、成長が期待できるスポーツ市場への参入が可能です。
このゲームでは、「素材や技術、市場の変化に対してどのように対応していくかについて、その働き方」を学ぶことができます。