みなさんは、神社へ行くことはありますか?
お参りして、おみくじを引いて、お守りを買って──
もはや「お願いごとをする場所」としての神社が、当たり前になっていますよね。
でも実は、神社の起源は「岩」だったんです。
しかも、ただの岩じゃありません。
「神が宿る」とされた、神聖な“存在そのもの”としての岩──「磐座(いわくら)」が始まりでした。
それがやがて社殿となり、今では立派な建築物として全国に存在しています。
神様を祀る場が、いつのまにか「祈りの場」から「訪れる場所」へと変わり、
いつしか「立派さ」や「格式」が重視されるようになったのです。
今回は、その神聖な岩から、
なぜ私たちが今よく目にするような「立派な神社」へと姿を変えていったのか。
その過程をじっくり解説していきたいと思います。
人によっては、信じていたものの根幹が揺らぐかもしれません。
でもそれこそが、“本当の神様”に近づくための一歩です。
信仰の始まり
遥か昔、古代の人々にとっては「大自然」が信仰の対象でした。
なぜなら、自然とは人間の理解を超えた現象の数々が起こるものであり、また、簡単に命をさらっていく恐ろしいものでもあったからです。
山、川、木、岩など、自然のあらゆるものに神が宿っていると信じていました。
この「自然崇拝」が、神社の起源です。
最初は、神が宿るとされた大きな岩に、飾りをつけたり、周囲を囲ったりして、祈りを捧げる場としたのです。これが磐座(いわくら)です。
自然物から社へ
時代が経つにつれて、そういった特定の場所に社殿が建てられ、神社として整備されていきました。
初期の神社は、自然の中で祭祀をすることが多かったですが、次第に建物が建てられるようになっていきました。
それから、それぞれの神社の土地の歴史や風土、 信仰によって様々な形態を持つようになりました。
縁結びや、勉学など、色々な種類の神社がありますし、仏教が伝来した後は、神道と仏教が融合し、神社に仏教的な要素が取り入れられることもありました。
奈良時代に本格的に政治が行われるようになると、朝廷が律令制度のもとに神社を利用して、人々の掌握をしました。
明治時代の国家神道政策は、戦後の神道解体まで、日本の社会に大きな影響を与えました。
まとめ
表向きには信仰は自由ですが、日本人のほとんどは「仏教+神道」です。
私たちが「神社は神聖なもの」「初詣に行くのが普通」と思っているその感覚さえ、
実は国家が長い時間をかけて“常識”にしていった結果かもしれません。
実は国家が長い時間をかけて“常識”にしていった結果かもしれません。
成り立ちを見たら分かる通り、初めは純粋な信仰だったものが、いつの間にか政府のまつりごとの一部となっていたわけです。
そもそも、始まりの「自然崇拝」も自然界がどういうものなのか理解していない「無知」から始まっています。
崇拝したところで自然災害は収まるものではありませんし、コントロールもできません。
正しくはこうです。
「自然の全てに神が宿っている」❌
「この世界の全てが神と同じ素材でできてる」️⭕️
私の感覚で言うと、今の信仰の仕方よりは昔の自然崇拝の方が正解に近いという感じですが。
神社は人の祈りから生まれているものです。
神がそこに居るというよりは「そういうエネルギー」や雰囲気があるといった感覚です。
神主さんも能力者というよりは、そこの管理人という人の方が多い印象ですね。
神社という場所は、自然豊かなところが多いので気持ちのいい場所ではあります😊
それも人が少ない時ですけれど。
成り立ちを見てみてどう感じましたか?
「これから何を信じたらいいんだ!?」
って方に1つだけお伝えしておくと、
本当に神様的な存在は、創造主である大元ただ一人です。
繋がるカギ🗝は
あなたの心と身体。
上手く使って見つけてみてね。
