そのせいで、本当は存在しないものを“いる”と思い込んだり、時には実際に“見て”しまったりすることもあるのです。
今回は、そんな“見えない存在たち”について、お話ししてみようと思います。
人によっては、これまでの常識が揺らぐような内容かもしれません。
どうか、構えすぎずに──でも心の奥で、静かに受け止めてみてください。
天使と悪魔
天使や悪魔といった存在も、下の絵のようなイメージが広まっているために、まるで本当にその姿で存在しているかのように思われがちです。

ですが、ある説によると──
一神教が広まる過程で、他の宗教の神々の存在が“都合が悪いもの”とされ、
それらが「天使」や「悪魔」として位置づけられた、と言われています。
人間という存在には、自分に都合よく解釈したり、利益のために“真理”さえも改変してしまうような傾向があります。
ですので、私もこの説には、かなり信憑性があると感じています。
そもそも、天使や悪魔といった存在は「目に見えるもの」ではありません。
本来、決まった姿を持たない、“ある種のエネルギー”としてそこに在るものです。
そしてそれは、人間の内側にある──低次元と高次元の象徴としても捉えることができます。
見た目にばかり気を取られていると──
この世界に生きる“天使のような人”を見逃し、
“悪魔のような人”に騙されてしまうかもしれません。
どうか、気をつけてください。
ここでいう「悪魔のような人」というのは、「悪魔憑き」のような話ではありません。
そうではなく──悪魔のような“性質”を持った人間のことです。
たとえば、平気で嘘をついたり、他人の心や物を傷つけても何とも思わなかったり。
そういう、意識の低い行動を当然のように繰り返す人たちのことです。
よく映画や宗教で見られる“エクソシスト”という存在も、
実際には、過去の人間たちの“無知”や“恐れ”によって作られた文化的な側面が強いものです。
それが本当に“悪魔の憑依”だったのかどうかは、今となっては誰にも分かりません。
なお、私は宗教そのものを否定するつもりはまったくありません。
一神教にも多神教にも、それぞれ真理に触れている部分があると感じています。
ただ──どれほど神聖なものであっても、
多くの人の手を経る中で、思惑や欲望が混ざり その本質が“穢れ”のようなものを帯びてしまうことがある。
今回お話ししたかったのは、そうした「人間の手による歪み」についてです。
ちなみに、精霊や妖精も「自然界のエネルギー」を象徴するものだったりします。日本の龍神もこれに当たります。
妖怪や幽霊👻
これらも、人間が恐怖や無知から、脳が補足することで産まれたものです。
「顔っぽい」と思った方も多いのではないでしょうか。
実はこれ、ただ黒い丸を3つ並べただけの絵です。
でも人間には、「点が3つあると顔に見える」という認知のクセがあります。
つまり、“見えてしまう”ことと、“本当にある”ことは、別物なんです。
暗闇の中で「誰かがいるような気がする」──
そんな感覚も、すでに科学的に説明がついています。
私たちの脳には、**周囲の情報が少ないとき、足りない情報を“予測で補う”**という働きがあります。
暗くて何も見えないときなど、脳は過去の記憶や恐怖心を元に、「そこに何かがいるかもしれない」と錯覚してしまうのです。
つまり、“何もいない”はずの場所に、“いる”ように感じるのは──
実は、自分の脳が“創り出した存在”かもしれない、ということです。
妖怪については、かなり古い時代から語り継がれています。
街灯のない暗い道、まだまだ“この世”について分からないことだらけ──
そんな時代に「見えないもの」と出会ったら、どう感じるでしょうか。
特に、障害や病に対する理解が乏しかった時代には、
異形の人間や、変化した死体さえも“妖怪”として語られていた可能性があるのです。
実際に、妖怪研究をしている学者の中でもこの説を支持する方は少なくありません。
それだけでも、この見方がかなり有力であることがうかがえるでしょう。
つまり──
人間の恐怖や不安といったネガティブな感情が、“無知”と結びつくことで「存在しないもの」を生み出してしまうのです。
ですが同時に、それは「理解できないものを、なんとか理解しようとする心」の現れでもあります。
理解しようとする姿勢は、とても尊いものです。
ただし、理解するためには「知識」が必要だということを、どうか忘れないでください。
分からないまま物を見てしまえば、人間は「こじつけ」でも意味を与えようとしてしまう──
それが誤解や偏見、迷信を生む原因にもなってしまうのです。
無知からくる勘違いに、どうかご注意ください。
