今回は、少しスピリチュアル強めの記事です。
人によっては「何言ってるの?」となるかもしれませんが、学びを進めていけば理解できる時がきます。
分からない人はゆっくりじっくり調べながら読むか、さらっと読むだけにして頭の引き出しにしまっておいてください。必要な時が来たら、自然に取り出されます。
人の学びには段階があります。
幼稚園、小学校、中学校で学ぶ内容が違うように、精神的な成長も段階的です。
初期の段階で大切なのは「感情を理解すること」
その学びの中で出てくるのが「善」と「悪」という感覚。
これは「高次元」「低次元」といった言葉で語られることもあり、人として生きるうえでの基礎とも言えます。
ここで、少し考えてみてください。
善悪の判断ができない子どもたちが大勢集まったら、どうなるでしょう?
そこに秩序はなく、混乱と混沌(カオス)が広がってしまいます。
最近よく話題になる「躾ができない親と子」の問題にも、実はこの感情の未成熟さが影響しているのかもしれません。
また、善悪を知ることは、何が高次元的で、何が低次元的なのかを見極める助けにもなります。
ただし、善と悪は必ずしも一面的ではありません。
善を裏から見れば悪だったり、
表面的には悪に見えても、裏から見れば善だったり──そんなこともよくあります。
なので、一方的に「これは悪い」とジャッジしてしまわず、
「こっちの方が心地いい」「こっちはちょっと嫌だな」と、まずは自分の感覚で受け取ってみる。
そのうえで、「なぜそう感じるのか?」を丁寧に掘り下げていくと、大きな気づきに繋がることがあります。
この学びを進めていくと、
「ポジティブもネガティブも、どちらも必要だったんだ」
──そんな気づきに辿り着く時がきます。
それこそが、「善も悪もない」と言われている本当の理由です。
つまりこの言葉は、感情についての学びを一通り終えた人が、自分の体験を通してようやく理解するもの。
まだその段階にいない人が早いうちに使ってしまうと、必要な成長のプロセスをすっ飛ばしてしまい、現実感覚を見失うことにもなりかねません。
「善も悪もない」は、辿り着く場所であり、最初の学びではないのです。
今、3次元の感情の学びをしている方は、とにかくその学びに集中してみてください。
気づきというのは、「
純粋な心の状態
」でないと得られないものです。
雑念や焦り、他人との比較が入り込むと、その気づきから遠ざかってしまいます。
「なんだかうまくいかないなぁ……」と感じる時は、知らないうちに気にしすぎて、それが“執着”に変わっているのかもしれません。
そんな時は、思い切って一度手放してみるのもアリです。
一歩引いたときに、ふっと見えてくる景色があるかもしれません。
「善も悪もない」という言葉は、確かに真実です。
でも、その言葉に引っ張られて“今必要な学び”を飛ばしてしまうと、大切なものを見失ってしまうこともあります。
だからこそ、今の自分に合った学びを、丁寧に大切にしていきましょう。