夏、真っ盛りです。
子どもの頃は夏休みの真っ最中で
サッカーをやるまでは
それこそ、脳みそが空っぽになるほど遊びまくっていました。
おかげで夏休み明けに学校へ行くと
カタカナの「ヌ」や「ユ」なんか忘れたりして
本当に命がけで遊んでいました。
バンドの思い出
8月8日は、、、。
関西の古いアマチュアロックファンなら
8月8日は何の日?と聞くと
「8.8ロックデイ!」と答えます。
ヤハマが主催する当時大規模なアマチュアのコンテストで
関西ならではの音楽がレベル高く競われていました。

1870年代ではブルース系のバンドが多く、
ウェストロードブルースバンド、大神留理子、浪速エキスプレス
誰カバ、、、。
ここから有名になった人は他にも沢山います。
僕が高校生の頃はバンドを初めて間もない頃で
こんなイベントがある事は知っていましたが
グランプリを獲ったバンドの演奏などを聞くと
あまりの演奏力に、自分たちとは違う世界だと思ったほどでした。
同じくヤマハでポプコンなる有名なコンテストもあって
こちらはどちらかと言うとフォーク、ニューミュージック(もうそんな言葉自体ないですが)
中心だったのが、8.8はロックでした。
初めて聞いたのはヤマハのスタジオの兄ちゃんがレコードを貸してくれたのですが
上田正樹、ウエストロードなど今聞いても驚きのレベル。
僕らみたいなようやくフォークギターをエレキに持ち替えた程度とは雲泥の差でした。

正直な所、8.8には手が届かないと思っていたのですが
ポプコンにはヤマハのスタジオが
「送るだけ送ってみいや~」と誘うので
スタジオで1発録りのテープを作って発送しました。
きっと、スタジオの兄ちゃんにノルマか何かがあって誘ったんだと思います。
案の定、テープ審査で落選。
それ程落ち込みもしませんでしたが
出場したという事実は僕の実績となりました。
その後、高校の文化祭で演奏する機会があり
田舎の高校では僕レベルでももてはやされたりしました。
良い気になった僕は
「俺ら、ポプコン出たし、、、。」と
まるでつま恋本選にでも出演したかの様なハッタリを言っても
高校の軽音の連中は信じていたようです。
まぁ、軽音と言っても部長でさえフォークギターのバックで
コードだけ押さえて単音でボン、ボ、ボーン!とほとんど聞こえない
ベースを不安気に弾いている程度ですから無理のない話しです。
ただ、このハゲ眼鏡の部長、文化祭の片付けをしながら
おもむろに僕の前に現れて、ニヤッと笑って指さしながら
「来年の8・8ロック、決勝で会おう!!」と言い放ち
走って去って行きました。
呆気にとられた僕は、一人立ち尽くし茫然と、その後ろ姿を見ていました。
夕陽が窓から強く差し込んで、廊下がオレンジ色をしていました。
翌年、8.8ロックデイは幕を下ろして大会自体がなくなってしまいましたが
あれ以来、8月8日になるとフォークギターのFコードさえおぼつかない
ハゲ眼鏡くんの自信満々のセリフを思い出します。
あいつ、今頃どうしているのかな?