ワールドカップ、ベスト4が出揃いましたね。
昨日は少年サッカーの試合で河川敷で審判をしていましたが
小学1年生の女の子でもネイマールの怪我を心配していました。
思い切ったプレーは賞賛に値しますが
相手を傷付けてしまうのはプレーの前に人としてどうでしょう。
ブラジルは大変ですが、ネイマールには早く良くなってほしいですね。
僕らのドラマー探しですが
少し進展がありました。
この後、どうなるかはまだわかりませんが
ちょっと面白い事になりそうな予感、、、。
乞うご期待!って事で、また報告します。
My favorite 97
ザ・ブルーハーツ

僕が23歳の時、バンドはメンバーチェンジを繰り返し
FMの番組に出演したり、イベントや学祭に呼ばれたり
それなりに充実はしていましたが
ライブハウスでの集客は伸び悩み
酷い時はメンバーの数の方が多いなんて
シャレにもならない状況でした。
辞めて行くメンバー、新しいメンバー。
コンセプト。
自分らしさ。
CBSソニーのオーディションでは
「メッセ―ジソングなら、もっとガンバレ!」とテープ審査で落とされ
何を歌えば良いのか、少し分からなくなっていた時でした。
(東京でドエライバンドがいるらしい、、、。)
ブルーハーツのウワサは瞬く間に広がり
「リンダ・リンダ」でデビューします。
サンテレビの音楽番組で映像を見ました。
ボーカルがペロペロ舌を出したり、顔をゆがめたりしていました。
次の日、レコードを買いに行きました。

ロゴの型抜きがおまけについていました。
スプレーでなぞるヤツ。
レコードを何回も聞きました。
その度に思ったのが
「俺ぁ、もう辞めてもエエわ、、、。」
正直、そう思いました。
シンプルな曲ですが、詞が圧倒的に強烈でした。
なんだこれ!?
こんな裸な詞、凄い、、、、。
自分の曲は
やれ恋の歌や、反抗心、ちょっと感化されたパンク系の社会観。
正直な所、自分の詞がニセモノのように思えて
情けなくなりました。
それで、辞めても、、、と思ったのが本心です。
今更、ブルーハーツの事を云々と書いても
みんなが知っている事ばかりです。
それより、彼らから受けた衝撃。
あの頃のバンドマンの殆どが「ハンマー」で後頭部を殴られました。
特にパンク系からメッセージ性のある歌モンをやっていたバンド。
詞を書いていたヤツ。
僕は、負けてたまるか!と、思うより
ごめんなさいと言って、しばらく詞が書けませんでした。
何年か経って、周りがあまりに騒ぐようになり
ブルーハーツの名前を口にするのも恥ずかしくなりましたが
当時はそれ程大きな衝撃だった事を思い出します。