僕は今もドラムを叩いていた家に新しく建て直して住んでいます。
さすがにあの頃と比べるとご近所の顔ぶれも変わりましたが
ずっと住んでいる方は覚えてるんだろうなと思うと恥ずかしい限りです。
反省の意味を込めて
建て替えの時にヤマハのアビテックスという防音室をつくり
そこで音を出すようにしていましたが
如何せん、ピアノレッスン等に対応しているようで
ドラムの低音はなかなか響きます、、、。
バンドの思い出~その12 伝説の野外ライブ その2
僕は子どものころ、一時漫画家になりたくて
道具なんかを買ってケント紙にカラス口を使って枠を引いて
本気で原稿を書いてみた事もありました。
子ども向けの「漫画家入門」なんかを読んでると
「自分が書いた作品は恥ずかしがらずに沢山の人に見てもらおう!」
と、書かれてありました。
13歳の頃、それを実践して学級図書に僕らの原稿を置いてもらいました。
その頃から、作ったものは恥ずかしがらずに見てもらう!が身について
何でも作っては勝手に回覧したり、見せて回っていました。
バンドもそうです。
いや、むしろバンドは見て、聞いてもらってナンボの世界ですから
自分らがそこそこ演奏できるようになれば
次は聞いてもらいたい!見てもらいたい!
その気持ちが抑えられない様になっていました。

※画像はイメージです。
、、、、、、、、。
以前にもアコギを買った時、フォークデュオを組んで
夜の河原で土手の雑草を観客にしてライブをしていた話を書きましたが
今度は人間に観てもらおうとなったのです。
つまり
昼間に外で演奏するという事です。
で、どうするか?
田んぼがその頃の季節では稲刈りが終わってましたので
田んぼの真ん中で演奏する事にしました。(!!!)
電源はその一番近所の府営住宅からコンセントを借りて
延長コードを何本もつなぎで延長して電源を確保しました!
みなさん、今では野外で演奏するなんて当たり前の話しですが
当時、都会や街中でも滅多にいなかった野外演奏。
ましてや僕の住む大阪南部の田舎では誰もいませんでした。
いや、今でも田んぼの真ん中で延長コードをつないで演奏するロックバンドはいないでしょう、、、。
兎にも角にも、僕は自転車に2人乗りで20インチのバスドラから16インチフロア、タム、スネアと
フルセットを運び、組んで、アンプを持ち寄り、マイクとボーカルアンプ用カラオケスピーカーと
繋いで、ストーンズと同じ編成のバンドで音を出しました!

※今の田畑の状況。
何曲かのオリジナルとキャロル、アナーキー、横浜銀蠅、、、。
この頃のレパートリーは10曲程度。
とりあえず出来る曲をどんどんやっていきました。
僕はドラム担当だったので、気付かなかったのですが
ボーカルが急に照れだしたので振り返ると、、、。
なんと、府営住宅の住人たちがどんどん集まってきて
僕らの演奏を聞いているではありませんか!!

※画像はイメージです。
「気にせんと続けようぜ!!」
そこから数曲演奏しましたが、振り返ると更に数が増えて
驚く程の群集となってきていました!!!!!
「っちょう、もう辞めヘン?」
ボーカルがさすがに恥ずかしくなり、言いました。
「ええやん、続けよう!」
僕は背中で聴衆が見えないので強気です。
「、、、、。じゃ、あと1曲、、。」
警察なんかに通報されるのもイヤだし
誰が怒鳴ってくるやも知れないと思い
ラストの1曲を演奏し終わって片づけを始めました。
群集は、まるで花火大会が終わった後の様に
そそくさと帰り出しました、、、。
それから数日後、近所のバンド仲間が僕の家に来て興奮気味に言いました。
「おー、知ってるか、なんかウチのおかんから聞いてんけど
めっちゃうまいバンドが田んぼで演奏してたらしいで!!」
上手くなんかはなかったですが、僕はこれを聞いて
飛び上がるほど嬉しかったです。
「そのバンド、俺らや!」
そいつは自慢げな僕の顔を覗き込み言いました。
「なんか、間違ってる、、、。」
(つづく)