昨日は節分。
毎年、この日だけは夕食のメニューが決まっています。
丸かぶりとイワシ。
今年はちょっと違っていて、
チラシ寿司を自分で恵方巻にするという変化がありました。
その後、恒例の豆まきは小さい子がいなくても実施しました!
さて、バンドの思い出。
僕がバンドを始めた頃は高校生でした。
バンドを組んだのは中学生の頃ですが
それはバンドとは言えないシロモノです。
ちょっと思い出すだけで今では信じられない事が山のように、、、。
これを書く事によって人間性を疑われたりするとは思いますが
基本的に面白ければ良しという事で書き進めます。
何度も言うようですが、すべて事実です。
バンドの思い出~その11・伝説の野外ライブ その1
僕がドラムを購入し、散々僕の部屋で練習して
なんとか聞ける最低レベルになったと自分で錯覚した頃
5人のメンバーたちの次の目標はコンサートでした。
あ、ちょっと待って下さい。
僕の部屋?
そう、僕の家は普通の中古建売住宅。
それも住宅地の端とはいえ、間違いなく居住区の一角にあります。
向いは用水路があって少し離れていますが
お隣との距離はわずか2mも離れていません。
田舎の山ん中の一軒家ではないです。
ドラム、フルで叩いていました。
防音なんかしていません。
$%&#?%&#$?!!!!!
すごく、大迷惑な事を当時、平気でやっていました。
今思うと、隣近所からクレームがあって然るべきだと思います。

まぁまぁ、今となってはどうしようもない、、、。
お隣さんは中学の1年先輩の方で、もう片方は引っ越してしまわれました。
と、まぁ、そんな感じで大概はスタジオなんか行かずに
僕の家で5人がドラムのナマ音を基準に、アンプから大音響を鳴らして練習していました。
クレームどころか、同級生で高校も行かずにビニール袋に有機溶剤をもった(?)奴らが
家の前でタムロして「もっとやれ~~!」とふら付きながら僕らの演奏を聞いてくれていました。
(それでクレームも来なかったのか!?)

どちらにしても、まぁ誰にも邪魔されずに一生懸命練習していました。
・・・・・?
そう言えば僕の部屋は2階。
下の1階では両親がいました。
僕の両親は大音響で演奏する僕らを注意するどころか
「おお、なかなか聞けるようになって来たな」とか
「さっきのカッコ良かったやん」などと言って注意するどころか
逆に応援してくれていました。
今思うと、非常識に思われるかも知れませんが
なんと有難い事かと思います。
僕らの当時の演奏なんて騒音というか、不協和音でしたから。
それを散々聞き続けていた僕の両親は心が広かったのか
子どもの気持ちを大事にしてくれていたんだなとしみじみ思います。
しかし、まぁ、間違いなく普通とはかけ離れた親でした。
時には「俺も入れてくれ!」と父親が空き缶と箸を片手に部屋に入って来たり
演奏が途切れた時に母親は「ご飯できたよ~」と飯までみんなの分を作ってくれていました。
僕に仲間が多かったのは、僕の家の居心地が良かった事は間違いないです。
そんな僕らの楽しみはテープに録音して聞く事でした。
が、段々と自分たちで聞けるかな?と思えるようになったら
次は誰かに聞かしたくて我慢が出来ないようになってしまったのです。
(つづく)