Facebookをやっていると、時々お友達のタイムラインに興味深い記事が出てきます。
そのことについて、自分なりの意見を書いたり、あるいはそれをヒントにものを書くことも結構あるのですが、今回とても興味深い記事を頂きました。
そこに頂いたResに本来、個別にレス入れるのがSNSの「コミュニケーション」としては正しいのでしょうけれど、今回のテーマはおそらくなら人の数だけ答えのある設問。全てにお答えして会話していくのは不可能である、と思って、今回は(あくまでも)自分の立場と思いをここに綴ってみることにしました。
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「あなたはなぜ、楽器を演奏しているのですか?」
「あなたはなぜ、歌を歌っているのですか?」
頂いたこの設問、深く心に刺さりました。
僕の原点は何なのか、そしてなぜ僕はステージに立つのか。
歌い、ギターを弾く者として何がしたいのか、その原動力は何なのか。
これを突き詰めて考えた時に、僕には一つの原風景が思い当たりました。
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明確な自身の記憶、ではありません。親や曽祖父母が話していた事です。
その話を元に、自分が想像した過去なのかもしれません。でも、朧げながら、その時の風景が脳裏にはあるのです。
1967年のレコード大賞を獲得した楽曲、伊藤ゆかりさんの「小指の思い出」があります。
今の僕には記憶にうっすら残っている、そんな歌です。
でも、どうやら僕は当時、この曲が好きだったらしく、テレビでこの歌が流れると親族の前で、流れてくる音に合わせて一緒に歌っていたらしいです。
おそらくなら2歳から3歳の頃のこと。
もちろん、ちゃんと歌えていたわけではないでしょうし、親や祖父祖母の贔屓目もあるでしょう。
「上手かったんだよ」と言われても、本人何のことやら、なのですが、自分の記憶にうっすらとある
『誰かが自分の歌で喜んでくれたこと』
は、心の深いところにある気がしていました。
そう、僕はきっと、誰かに喜んでいて欲しかったのでしょう。
自分が今、そこにある意味、意義。それは自分の中にある何かを表現するとかそんなことではなく、その場にいる人に喜んで貰いたかった、のだと思うのです。
自分のやっていることをダイレクトに評価してもらい、楽しんでもらえる。笑顔が見れる。
だから、歌うことは好きだったのだと思うのです。
そう、小学校の頃までは。。。。
そこから先の辺りのことは、拙ブログ「LED ZEPPELINと私」の11話に掲載しております。
歌うことが好きだった小学生の僕は、高い声が出なかったことで歌うことがトラウマになってしまい、歌を一度封印するのです。
で、結局音楽に、歌に戻ってしまうわけなのですが、それでも僕は「人が楽しんでくれる顔を見ること」が好きだったのでしょう。
中学でも、高校でも、喜んで貰うために歌って、下手だのイキってるだのと貶されて凹んで。そんなことを何度も、何度も繰り返して。。。
「喜んで欲しかったのに、なんで喜んでもらえないんだろう」
ずっと、そんな風に考えていました。
「努力が足りないんだ。歌えてないんだ。ちゃんと出来てないんだ」
時代は速弾きHard Rock Guitarの全盛期、僕の腕前や趣味嗜好ではギタリストになんてなれない、と諦めた僕にはもう、ギターを弾くことなど諦めて、歌を続けるしか音楽に関わる道が無い様に思われました。独学だったけれど、でも必死で歌うことを考え、練習し続けました。
そんな大学生時代に加入したバンドでOZZY OSBOURNEのOver the Mountainをやることになり、デモテープを作りました。
驚いたことにメンバーみんなから、「凄い!本物そっくりだ!」と喜んで貰えました。
(当時のことは、軽く「LED ZEPPELINと私 21話」で触れております)
その事には当時、色々複雑な思いはあったけれど、でも「自分が歌って、誰かが、大事な人たちが喜んでくれる」という事実がとても嬉しかったのでした。
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時折、「keiさんはオリジナル曲を歌わないの?作らないの?」と問われることがあります。
「めんどくさいからwww、オリジナル曲を作られる皆さんの様な才能も無いですから。
大体、僕はカバー曲歌うことで認知してもらえたシンガーなので。」
と、お話を終えてしまうのです。
今、冷静に考えてみても、やはり正直なところ、僕の中には「表現したい、伝えたい何か」などというものはないのだと思います。
もちろん、人として自分の意見、言いたいことなどまるでない、とは言わないですが、そんなことはこうしてブログでやれば良いのです。音楽に乗せて、言いたいことを言うのは気持ち良いかも知れないですが、結局言葉足らずで言いたいことは言い切れません。誤解もされてしまいます。
加えて僕はどうも、人の意見や気持ちを音楽を通して聴くのもどちらかといえば嫌です。社会に不平不満をぶつけたりするのを無理やり聞かされるのは、正直耐えられない。僕にとって音楽は音楽。楽しかったらそれで良いのです。
僕のブログがひたすら長い時があるのは、「本当に読みたい人以外、読むのを諦めて欲しい」からです。本当に僕の考えていることに興味のある人にだけ、読んで頂きたい。鬱陶しいのが嫌いなら、ページを開けなければ良いのです。
でも音楽って、簡単に、あるいは無理やりに耳に飛び込んできて、他人の脳内を蹂躙してしまいます。
そしてそれが続けば「洗脳」になる。
僕はそれが本当に嫌なのです。