本日(31日)17時前、本年の仕事は全て終わりました。
仕事柄「12月29日~1月3日休業」とはいきませんが、元日・2日の2日間は休ませてもらいます。
3日昼過ぎから、また働く予定。
まぁ「働く」と言ったって、2時間(1コマ)だけですけど(笑)。
昨年(2024年)の脳梗塞発症後、「この仕事を続けるの……もう、無理かな」と思っておりました。
退院後も2ヶ月近く全く仕事はせず、「この先、どうなるのかなぁ」と思っていたのです。
が。
昨年末、有難くも突然、依頼が来ました。「いやいや、ムリムリムリ!」と思いながらも、結局、引き受けちゃったのですが。
それからぼちぼち、何とか続けております。
と言っても「かつて」に比べれば遥かに少なく、「細々と」ですけどね。
退院後、「体の動き」だけでなく、実は「読む・考える・解く」能力もガクンと落ちている事を時々痛感させられながらやっております。
うっかり以前のつもりでやっていると
「あれ……あれあれぇ? 以前だったらこんなの楽勝……というか、こんなとこで躓くなんて、思いさえしなかったのに」
なんて、自分に驚かされ、呆れております(笑)。
ま、この仕事を始めたばかりの頃を思い出し、さらに「いろいろな能力が衰えているかも」と思いながら、今までより慎重にやらなくてはいけないと思わされているところです。
仕事だけではなく、いろいろなことで。
私は元々、いろいろなところで暴走気味。「無理・無茶」を知らず知らずのうちに重ねていたように思えます。
昨年の脳梗塞発症は、そんな私にとって、むしろ「いい薬」になったのかもしれません。
……って、あれじゃぁ劇薬じゃね~かよ! 副作用強すぎるだろ!!(笑)
でもまぁ私の場合、あれくらいじゃないと効かなかったかもしれません。
――なんて事を思いながら、部屋でひとり、大晦日を過ごしているところです。
皆様、今年も有難うございました。
来年もよろしくお願いします。
良いお年を。
昨日投稿した「2018年12月21日宮崎滞在中(最終日)」の続きです。
(理由あって、今まで非公開にしていました)
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(もう何度目になるかわからない宮崎滞在最終日。この日は、小林市の老人施設で「みやざき犬」の「むぅ」ちゃんによるダンスショーを見る。むぅちゃんを迎え入れ、孫か来たかのように喜ぶ老婆たち。その様子を見ていた私は、自分の祖母の事を思い出した。介護を放棄し、暴言さえ吐いていた過去の自分。あの時の事を思い出した私は、楽しいイベントの中、一人だけ、こっそり泣いていた)
「みなさん、ありがとうございましたぁ!」
アテンドのおねえさんの大きな声で、レクリエーションタイムは終わった。
再び『Hinata!』が流れ、むぅちゃんとおねえさんは深々とお辞儀する。むぅちゃんはアテンドのおねえさんに手を引かれながら、共用スペースから出ていく。
私も老人施設の職員に礼を述べ、共用スペースを出た。
結局、ここに来たみやざき犬ファンは、私だけだった。
外に出ると、まだ冷たい雨が降り続いている。
私は、むぅちゃんとおねえさんに礼を言いたかった。
祖母の思い出を、やっと受け入れられました。
祖母を、やっと「送れ」ました。
ありがとうございました。
そんなことを伝え、礼を言いたかったのだが。
何と礼を言えばいい?
何と説明すればいい?
アテンドのおねえさんとむぅちゃんが、施設の職員に「ありがとうございましたぁ」と言いながら外に出てくる。
とりあえず、私はおねえさんとむぅちゃんに挨拶。
「お疲れ様でした。みんな、とても喜んでいましたね」
「あっ、テルミンさん。今日もありがとうございます!」
(みやざき犬のおねえさんたちは、私を「テルミン」と呼んでいる。某SNSで、これは私のハンドルネーム)
「おばあちゃんたちを見ていたら、亡くなった祖母のことを思い出しちゃって……泣いちゃいました。楽しい会なのに、私のせいで、しらけさせちゃったかもしれませんね。皆さんには気づかれないようにしていたんですけど。すみません」
車椅子の老婆たちは、前にいるむぅちゃんたちを見ていた。だからおそらく、泣いている私に気づいてはいない。
しかし、おねえさんとむぅちゃんは、前から老婆たち、そして、後ろの壁の前に立っている私を、見ていたのだ。
泣いている時、おねえさんと目が合った。
あの時、おねえさんは一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐにまた、いつもの笑顔に戻っていた。
「そうだったんですね……どうしたのかなと思っていたんですよ」
おねえさんとむぅちゃんは、私を「おばあちゃん思いの優しい孫だったのだろう」と思ったに違いない。
でも……違うんだよ……
そうじゃない……そうじゃないんだ。
また、涙がこぼれてきた。
「……すみません」
上に開かれたハッチバックドアの下に、むぅちゃんが立っている。
降り続く冷たい雨は、むぅちゃんの体を少し濡らしていた。
全身もふもふの毛で覆われた彼らは、雨に濡れると後が大変だと聞いたことがある。
「むぅちゃん」
嗚咽でうまく声が出せない。
「む……むぅちゃん」
プラスチックのようなもので作られている黒く丸い目が、私をじっと見ている。いや、口の黒い穴から見ているのかもしれない。
雨の中、むうちゃんは黙って私を見ていた。
「むぅちゃん……そこにおると……濡るっがね……いいと?」
〈いいの?〉ではなく、〈いいと?〉。
もう長い間使っていなかった、宮崎弁。
頻繁に宮崎に来るようにはなったものの、私は宮崎にいても、ほとんど宮崎弁で喋らない。
しかし、宮崎の人と長時間喋り、気持ちが高ぶってくると、偶に宮崎弁が出ることがある。
私の宮崎弁は、もう本物とは違うものになっているかもしれない。東京人が真似る関西弁のように、現地の人ならすぐに本物ではないとわかり不快感を覚える偽物になっているかもしれない。
だから私は、宮崎弁で話さないようにしてきたのだが。
この時、私の言葉は、宮崎弁に戻っていた。
「むぅちゃん……いいと?」
むぅちゃんは、体全体でお辞儀をするように〈うん〉と頷いた。
「雨が……雨が、降っちょるよ。むうちゃんたちは、濡れたらいかんっちゃろ。もう、車ん中に入った方がいいが」
むぅちゃんは首と体を左右に揺すった。〈イヤイヤ〉をする時のジェスチャーだ。
雨はさらに強くなり、老人施設に雨音が響く。
むぅちゃんも、おねえさんも、黙って私を見続けている。
「……ごめんね」
私は、誰に向かってそう言ったのだろうか。
むぅちゃんという、作られたキャラクターに?
中の人に?
おねえさんに?
いや、どれも、違う。
私は、何か、大きなものに赦されたような気がしていた。
雨音はいよいよ激しくなっていく。
むぅちゃんとおねえさんは、嗚咽を上げ続ける私を、ただ黙って、見守り続けてくれていた。
もう何回目になるのかもわからない、宮崎滞在最終日の出来事。
あの時、私はやっと、祖母を「送る」ことができたのだ。
(了)
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おねえさん、むぅちゃん、そしてばあちゃん。
ありがとう。
皆様、佳きクリスマス&年末を。
以下は数年前、あることがきっかけで書いたものです。
理由あって、今まで公開しておりませんでしたが。
7年程前の今頃、2018年12月21日の出来事です。
頻繁に宮崎へ行っていた頃で、この日も宮崎滞在中。
「みやざき犬」の活躍を見に、小林市の老人ホームまで行った時の事を書いています。
みやざき犬の「むぅ」ちゃんを見て喜ぶ老人達を見ていたら、祖母の事やいろいろな事を思い出し、涙が止まらなくなっちゃいました。
その時、自分がどうしてあんなに宮崎に来ていたのか、本当は宮崎に何を求めていたのか、何となく、わかってきたような気がしてきたのでした。
現在私は、某デイサービスにて月1回程、お年寄りを相手に講談か落語をやらせてもらっていますが。
デイサービスに向かう時、いつも、この時の事を思い出します。
かつては老人が嫌いで、憎んでさえいた自分。
そんな自分が、お年寄りを前に講談や落語をさせてもらうようになっている。
それは、この時の事と無縁ではないと思っています。
かなり長いですが、その前半を。
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「みやざき犬」は、宮崎県のシンボルキャラクター。だから、福祉施設のイベントにもよく呼ばれる。
大きな福祉系イベントだけでなく、幼稚園や障がい者施設、老人ホームの小さなイベントに出ることもある。それらのほとんどは、施設利用者だけを対象としたイベントだ。
普段、そんな予定はみやざき犬の公式ホームページに載らないのだが、稀に載ることもある。
まぁ、我々が現地へノコノコ行っても入場を断られることも多く、入場を許されても写真撮影は禁止ということがほとんどだが。
宮崎滞在が始まってから三年近く経った頃の、クリスマス前の宮崎滞在中。
月一回に近いペースで宮崎へ行くようになっていたので、もう何度目の宮崎滞在になるのか判らない。
今回の滞在最終日は、朝から冷たい雨が降っていた。
東京へ戻る便は、十九時過ぎ発。その一時間前には宮崎空港に到着しておいた方が良い。だからあまり遠くまでへは行けない。
それに「日本のひなた宮崎県」は、雨が降ると、観光地として愉しめるところが一気に減るのだ。
だから、宮崎滞在の最終日にはいつも、少年時代を過ごした場所を回るだけにするようになっていた。
しかし、それだけで過ごすには時間が余り過ぎるなぁ……
この日の昼過ぎ、小林市にある老人施設で行われるイベントに、「みやざき犬」が出る。みやざき犬の公式ホームページにある「出演スケジュール表」を見ると、そう載っている。
「でもなぁ……行っても、中に入れてもらえない可能性が高いよな」
と思い、このイベントを滞在中のスケジュールから外していたのだが。
雨も降り、他に行くところもない。
とりあえず、この老人施設に行ってみて、やっぱり中に入れてもらえなかったら、施設周辺を行き当たりばったりでドライブすればいいか。
私は、宮崎滞在が始まるまで、老人たちから目を背け続けて生きてきた。
祖母のことを思い出したくない。
いや……祖母に向けていた憎悪を、思い出したくなかったのだ。
郊外の老人施設に到着すると、駐車場には既にみやざき犬のバンが駐められていた。
彼らはいつもイベント開演の一時間前には現場に来ている。施設内の何処かで待機しているのだろう。
私以外のみやざき犬ファンは、やっぱり来ていなかった。来ても中に入れられない可能性が高いのだが。
「あの……みやざき犬のむぅちゃんがこちらのイベントに出るそうで。観覧させてもらってもよろしいでしょうか」
断られるだろうなぁ……そう思いながら施設職員の男性に尋ねると
「あぁ、どうぞ」
と、意外にもあっさり許可。
「えっ! ほ、本当にいいんですか?」
「ええ、どうぞ」
通された会場は、小学校の教室の半分ぐらいある共用スペース。
クリスマス向けの折り紙やボール紙で作られた飾りに満ちた部屋で、車椅子に乗った老人たちが集まっている。室内にいる老人のほとんどが、女性だった。
「あの、度々済みません。写真撮影は……ダメですよね」
「ええっと……顔を撮らるっとを嫌がるお方もいらっしゃるんで、それはちょっと」
「そうですよねぇ……ありがとうございます」
私は、邪魔にならないよう、後ろの壁の前に立って、開演を待っていた。
みやざき犬のテーマソングの一つ『Hinata!』が流れる。
同時に、アテンドのおねえさんとむぅちゃんが入ってきた。
それまで自由に喋っていた老婆たちは、むぅちゃんに気づくと、女性がかわいいものを見た時の「わぁぁぁ」という声を上げる。
挨拶、自己紹介、ダンス。そしてふれあいタイム。
今まで何度も見てきた、みやざき犬のイベントの流れ。
車椅子の老婆たちは、むぅちゃんのダンスに合わせ手を叩き、ダンスが終わるとまた拍手で手を叩く。ふれあいタイムとなりむぅちゃんが近くに来ると、わぁぁと言いながらむぅちゃんのもふもふな手を取り、職員さんにむぅちゃんとのツーショット写真を撮ってもらい喜んでいる。
皆、孫が遊びに来たかような喜び方をしている。
孫が、遊びに来たかのような……
――俺のばあちゃんが生きていた頃、こんなの、なかったよな……
私が母の実家に行った時、歌手の物真似をする私を見て、大笑いしながら私に「もっと、もっとやってぇ」とせがんでいた祖母。
白い壁の部屋の中、介護ベッドで寝ていた祖母の顔。
むぅちゃんを見て、孫が来たかのように喜んでいる老婆たち。
その光景を見ている私の頭の中では、過去と現在、憎悪と愛情が、交錯し始めた。
祖母の具合がいよいよ悪くなってくると、私の家庭は祖母の介護中心に回るようになっていった。祖母の世話をしていた伯母はもちろん、母も介護に巻き込まれていく。
私も、小学生の頃は母に顔を打たれるのが怖くて大人しく母に従い介護の手伝いをしていた。
しかし、中学生になり母より体が大きくなると、母の言うことに従わなくなり、介護の手伝いもしなくなっていった。
うるせぇな!
ばあちゃんなんか、さっさと死ねばいいんだよ!
何がきっかけだったのか、覚えていない。
私は母に向かって、自分を縛り続ける大嫌いな家庭、大嫌いな宮崎への不満と呪いを込め、胸につかえていた憎悪の念をすべて吐き捨てるるように怒鳴ったのだ。
私はそのまま、母の返す罵りを背中に浴びながら家を飛び出し、そのうさを晴らすようにして、友人の家に遊びに行った。
あの時、おそらく私の声は、祖母にも、聞こえていただろう。
数週間後、祖母は介護ベッドに寝たまま、息を引き取った。
慌ただしく行われる葬儀の中、私の心はずっと空虚なままだった。
――ばあちゃんがこの世から消えたことは、現実なのだろうか?
――俺とばあちゃんは、本当に一緒に住んでいたのだろうか?
葬儀が終わると、祖母が過ごしていた白い壁の部屋は、私の部屋となった。
柔らかい陽が入り、そよ風が白いカーテンを揺らす部屋。
あの日から私は、そこに祖母がいたことを、忘れようとし続けていたのだ。
共用スペースの中、老婆たちはむぅちゃんを見ながら大喜びして声を上げている。
寝たきりになってから、笑うこともなく、介護ベッドの上で虚ろな目をし、伯母に介護されるだけの祖母の姿を、私は思い出していた。
あの頃、宮崎にはこういうの、なかったよな。
俺のばあちゃんには、こういうの、なかったよな。
俺、優しいばあちゃんを憎んで悪態ばっかりついて、何もしなかったよな。
ばあちゃん、ごめん。
むぅちゃんの一挙手一投足に喜ぶ老婆たち。
その光景を見ながら、私は、壁の隅でこっそり泣いていた。
泣いているのに……なぜか、私は、赦されたような気がしていた。
むぅちゃんを見て喜ぶ老婆たち、そして老婆たちを喜ばせるむぅちゃんを見て、私は、自分が何か大きなものに赦されているような心持ちになっていた。
(続)
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