昨日9月7日(日)は、月に一度の講談教室へ。
出来は。
先生からは泣けてくるぐらい有難い気遣いを受け、自分は泣けてくるぐらい情けない出来。先月と同じでした。
「以前のように、原稿を見ずできるのか?」とかなり不安がありましたが……最初からもう「ダメだコリャ」という感じがしてくる。結局、原稿をチラチラ見ながらやっちまった。しかも、また悪い癖が出てガチガチに固まっちゃった状態。
今までより短いから、すぐに覚えられるはずなのに。
物覚えが悪くなってきているのかもしれない。そろそろ、そんな年齢かも。
あと1回……とりあえず、あと、1回。
今度はもうちょっと時間をかけてやってみて「覚えて演る」を試してみて、やっぱりダメだったら「読みながらやる」というやり方に変えるつもりです。
 
と言っても……
 
2日後には某デイザービスで落語『たらちね』を一席やらせてもらい、3日後の杉落研では講談『秋色桜』を試させてもらう予定。
『たらちね』は不完全ながら杉落研でやらせてもらったので「何とか一席」にはなりそう。『秋色桜』はまだほとんど練習していない。数年前に一度覚え、教室の発表会でも(10分以内の)短縮版をやらせてもらったが、すっかり忘れちまっている。3日後の杉落研では、最初の部分だけにしておくか。それすら怪しいけど。
とりあえず、今はこれらの練習をして、教室でやる『加藤遠江守の諭し』(赤穂義士伝)の練習は、4日後からになっちゃいそう。
 
講談教室の場所は上野広小路亭。
この日、歩いてすぐのところで、謝楽祭(落語協会祭)、藝祭(東京芸大文化祭)をやっていたようです。
以前ならこれらにも寄ってから帰ったが……今の私にウロウロ歩き回るのはきつい。そのまま帰っちゃいました。
 
地元では母校にて杉高祭があったらしいが、観覧が事前申込制になったので行かず。
家でパソコンを見たり、録り溜めた番組を見たり、日課筋トレ・柔軟の続きをしたり、ちょいと昼寝したりして過しました。
 
日付が変わり真夜中には月食……だったらしい。
しかし1時過ぎ頃には寝ちゃったので、見れず。
これ↓で月食を見て、自分を満足させました。

私が主に使っているSNSでは、「友達」からの表示がなかなか出てこない事が、さらに、多くなってきたように感じます。
 
・Facebookでは「ホーム」からだと余計な表示がものすごく多く、「友達」の投稿が埋もれる。なので「フィード」から見ている。が、そこからでも「友達」の投稿が表示されない事が多くなってきている。こちらの投稿に対する「お知らせ」もまともに出なくなった。
・X(旧Twitter)だと、そのまま(「おすすめ」)では余計な表示ばっかり。なので「フォロー中」表示にしている。が、いつの間にか「おすすめ」に戻っていたり「フォロー中」でも時系列ではなかったり。
 
私にとってはサービスが劣化しているように思うのだが。
多くの人にとっては、今の方がいいのかな?
メタ系列(FacebookやInstagram)では、「なりすまし」「ロマンス詐欺」が異常に多くなってきて、だんだん使うのが嫌になってくるし。
若い人はこれらのSNSを使わなくなってきてきているようにも感じるのだが、どうなんだろ?
いわゆる「終わりの始まり」ってやつの気もするのだが……

1年前の今日(9月4日)、緊急入院先からリハビリ病院に転院しました。

 


 
あの時、リハビリ病院へは行かず自分で治すつもり……いや、ほとんど自暴自棄になっていたところ、緊急入院先の医師からリハビリ病院への転院を、かなり強く、説得されました。
緊急入院先でもリハビリ病院でも、担当の先生方に大変なご迷惑をおかけしちゃったわけで。ここには書けないくらい(笑)。
しかし、おかげさまであれから2ヶ月近くリハビリ病院で励むことができ、こうやって何とか生きております。
 
リハビリ病院へ行く前
「エレベーターがなく階段を上らなくてはならず、バリアフリー化もされていない元の家で生活するなんて無理。引っ越してください。歩く時には杖が必要になります」
と言われておりました。
また、舌もうまく回らない上に、機能の損なわれた右手で張り扇を打つのも無理そう。
この右手じゃぁキーボードを打つのも無理。文字入力は音声入力+左手でスマホ入力か。
予備校の仕事なんて続けられるわけないじゃん。喋んなくちゃいけないし、板書しなくっちゃいけないし。
おまけに、すぐに目が回るし複視も残っちまった。周りの景色もきちんと認識できない。本なんて読めるようになるの?
……
今、何とか元の家に戻れ、杖なしで歩き、張り扇を右手で持って講談を続けることができ、細々とですが仕事も続けております。この書き込みもキーボードから両手入力。
まぁ、発症前より限られていることが多く、遥かに遅くなっていますが(笑)。
それでも、退院後も少しずつ、本当に少しずつ、マシになってはきているようです。
 
緊急入院先の医師から、リハビリ病院への転院を、かなり強く、説得された時、ほとんどその医師との「戦い」でした。
結局私は、遥かに年下の医師に言い負かされ、リハビリ病院への転院を余儀なくされちゃいましたが。
あの時、本当は、心の中で先生に感謝しておりました。
自分が言い負かされリハビリ病院へ転院する事を、心の奥で望んでいたようです。
 
私は誰かの言葉を引き合いに出すなんて、大、大、大っ嫌い。
ですが、あの時のことを思い出すと、どうしても、太宰治の言葉を思い出しちゃうのです。意味は違うかもしれないけれども。
 
「負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。」
(太宰治『黄金風景』の最後)
 
緊急入院先のT先生、リハビリ病院でお世話になった先生方、本当に有難うございました。
私は何とか、こうやって生き続けております。