10月6日(日)、講談教室がありました。
私は入院中のため、8月、9月に続きまたもや不参加……と思っておりましたが。
奇跡的なことが幾つも重なり、病院から外出許可が出て参加できました!
先生をはじめとして教室の皆さんから拍手で迎え入れられ、私の分を先生に見ていただく時には、かなり無茶で図々しいお願いを先生に受け入れて頂きました。
しかし私への指導時、先生は、あえて、特別扱いはしない。
いつもと変わらない、いつも通りのご指摘をくださり、それに対して私も、他の人も、「あ、そうか!」と、いつも通りに聴いて、いつも通りに頷く。
私は「やっとここへ、帰ってこられたんだな」と思うことができたのです。
開始時も終了時も、教室の方々が心配してくださったり、荷物を持ってくださったり。
先生はにっこり笑って見送ってくださったり。
教室の皆さん、松鯉先生、本当にありがとうございました。
7月から12月までの半年間、我々は『雪江茶入』という読み物を習います。
初め、この話を聴いた時
「ふぅん、天野屋利兵衛ってずいぶん優しい人だねぇ。でもこんな人、現代ではいないし。それに、大石内蔵助ほど頭の良い人なら、途中で『こいつ、誰かをかばっているな』って気がつくんじゃない?」
って思ったのですよ。
でも、入院中、ハッと思ったのです。
「もしかしてこの話……『優しさ』ではなく、出入商人としての『意地』を描いたものではないだろうか」
入院中、私は様々な人の「意地」を目の当たりにしました。
医師の意地、看護師の意地、療法士の意地、そして患者の意地。
金や名誉なんか関係ない、意地でも、これはやる。
そんな「意地」を何度も目の当たりにするうちに、物語の受け止め方が、変わっていったのです。
この受け止め方は間違っているのかもしれません。
しかし、私は
「『出入商人としての意地』を描けたら」
なんて考えながら、いつもより1週遅れの11月の教室に、いつも通り出ようと思っているところです。