マーティン・スコセッシ監督&ロバート・デ・ニーロ主演で贈る「キング・オブ・コメディ」(1982年)をご紹介します。
”1.12.12 - "The King of Comedy"” Photo by Movies in LA
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ルパート・パプキン(ロバート・デ・ニーロ)はコメディアン志望の34歳。
ルパートは社会的に孤立している男で、母親と暮らす家の自室で喋りを録音しながら舞台に立つ自分を空想して過ごしています。
ある夜、売れっ子コメディアンのジェリー(ジェリー・ルイス)の出待ちで、熱狂的なファンのマーシャがジェリーの車に乗り込んでしまう。
彼女を追い出したルパートは、代わりにジェリーの車に乗り込み、さらにはジェリーに強引に自分を売り込む。
ジェリーは体よく追っ払うために「事務所に電話くれ。秘書が対応する」と言いますが、ルパートはそれを真に受けます。
で、2人が一緒にランチするシーンに。
ジェリーが「6週間だけ番組を担当してくれ」と売れっ子コメディアンとなったルパートに懇願するのですが、実はこれ、ルパートのファンタジー。
現実とファンタジーの区別が曖昧なルパートは、ジェリーが友人であり、彼が番組出演オファーした、と心から信じているんです。
ルパートの行動はどんどんエスカレートしてゆき、ついにマーシャと組んでジェリーを誘拐、彼の番組に出演することを要求する。…
”6.11.11 - "The King of Comedy"” Photo by Movies in LA
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「キング・オブ・コメディ」は、社会病質者の共感性の欠如が招く暴走を描いています。
「他者(相手)はどう思うか?」を想像する力が共感性ですが、ルパートにはこの共感性が決定的に欠けています。
デ・ニーロの神がかった演技がその怖さを体現していますね。
「こんなはずじゃなかった」というセリフは劇中に直接出てきませんが、 ルパートだけでなくリタにしても、そういう感覚を抱いていたと思います。
リタはハイスクールでチアリーダーでした。
つまり元花形でしたが、今はうらぶれた酒場勤めです。
「こんなはずじゃなかった」という感覚は、どん底というセルフイメージに繋がります。
これは長引く経済不況も大きな影響を与えるがあると思います。
どん底感がエスカレートする要因なんです。
それは今の日本社会を見れば明らかですね。
どん底感の惨めさを妄想に逃避するだけでなく、現実化してしまうルパート。
彼は身勝手な人間の心の中の欲望と闇、危うさというものを象徴しているように思えます。
人は皆闇を己の内に秘めていますが、共感性を基にして一線を越えないようコントロールしている。
でもルパートは違う。
だから彼の言動は決して笑えない。笑えないコメディです。
一方で、社会から孤立するルパートが「どん底で終わるより、一夜の王になりたい」と言った時、不思議なシンパシーを現代の日本社会は受ける気がするんですね。
でも、それは現代社会の危うさです。
ラストシーンはリアルでしょうか?それともルパートの妄想でしょうか?
本作と「タクシードライバー」(奇しくもスコセッシ&デ・ニーロのコンビ作)は、かなり似ている物語ですが、僕は「タクシードライバー」のラストはトラビスの妄想だと思いました。
一方、「キング・オブ・コメディ」のラストは僕は現実として描かれている、と思いました。
現代は、とにかく悪目立ちすればカネが入る、というSNSシステムが定着しています。
そういう意味でも「キング・オブ・コメディ」は時代を先取りした作品だ気と思いますね。