マグリット「無謀な企て」(1928年)~それは叶わぬ夢だけど…。 | ネコ人間のつぶやき

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 ルネ・マグリットは、その独特な作風が人気のシュルレアリスム画家です。

 

「無謀な企て」(1928年)

 

 「無謀な企て」(1928年)は豊田市美術館に所蔵されており、僕がマグリットを知るきっかけになった作品です。

 

 「理想の女性」が現実にはいない。じゃ、自分で創造しようという画家の無謀な企て。

 

 シュールだけど、笑える作風に仕立て上げる。

 

 個人的にはシュルレアリスムが苦手なんですが、マグリットは別。

 

 マグリットが中年期~晩年に描いた代表作は悪戯心を感じさせる驚きとおもしろさです。

 

マグリット(1898年11月21日~1967年8月15日)

"Born November 21, 1898 - Rene Magritte" Photo by Père Ubu

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 現実にはあり得ない組み合わせのイメージが同じ絵の空間に同居する、コラージュ的技法で現実を揺らすマグリットの特徴です。

 

 以前「新美の巨人たち」で最晩年作「王様の美術館」が特集された際、マグリットの人生についても紹介されていましたね。

 

 心の病を患うマグリットの母親は信仰が支えの女性だったそうです。

 

 しかし、ある日、父親がマグリットたち兄弟をけしかけ、マグリットは母の十字架に唾を吐いてしまったそうです。

 

  ショックを受けた母親は入水自殺をしてしまいます。マグリットが13歳の時でした。

 

 父親にけしかけられたとはいえ、マグリットは「自分が母親を死に追いやった」と自責の念に駆られたと思います。

 

 その後、彼は心の闇を抱えて生きてゆくことになるのですね。

 

マグリット「9月16日」(1956年)

"Le seize Septembre - gouache - 1956" Photo by Pierre Arronax

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 荒れた生活をしていたマグリットですが、18歳でブリュッセルの王立美術アカデミーに入学して絵の道に入ります。

 

 その後悩めるマグリットはジョルジョ・デ・キリコの「愛の歌」を観てとても感激したそうです。

 

 マグリットはベルギーの前衛芸術活動に参加後、1927年、29歳の時本格的なシュルレアリスムを学ぼうとパリへ渡ります。

 

  シュルレアリスムはフロイトの精神分析と深い関りがあります。

 

 シュルレアリスムでは、自動筆記に代表されるように無意識のイメージをそのまま表現するわけです。

 

デ・キリコ「愛の歌」(1914年)

"NYC - MoMA: Giorgio de Chirico's The Song of Love" Photo by Wally Gobetz

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 そうなると作品はエロスや攻撃性(暴力性)のイメージの断片が集まって観ている者を不安にさせがちです(僕がシュルレアリスムを苦手な理由)。

 

 実際、マグリットのパリ時代は作品の印象も不安と恐怖を惹起するものです。

 

 例えば「恋人たち」(1928年)は、冷たくなった母親の顔が白い衣服で覆い隠されていた、というマグリットの抱える悲劇の記憶を連想させる作品です。

 

マグリット「恋人たち」(1928年)

"THE LOVERS" Photo by Via Tsuji

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 マグリットはシュルレアリスム運動の中心人物で詩人のアンドレ・ブルトンとは合わなかったのです。

 

 ブルトンは無意識の探索とそこにあるイメージをかき出すことを強く推奨したのです。

 

 母の死にまつわる深い傷があるマグリットがそれを拒否したのは当然ですね。

 

 マグリットは1930年、彼らから離れてベルギーに帰国することになります。

 

 でも、パリからベルギーに帰国後、マグリットが描くようになった作品からはそういう気味の悪さやザワつく印象を受けず、むしろオモシロイとか楽しい気分にさせてくれます。

 

マグリット「人の子」(1964年)

"René Magritte, Le fils de l’homme (1964)" Photo by Rael Garcia Arnes

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 それはマグリットの描いた作風がブルトン的な、精神分析的な指向性なシュルレアリスムではないからでしょう。

 

 マグリットは母親にまつわる心の闇を覆い隠したかったわけです。

 

 だから彼は、ブルトン的シュルレアリスムではない、マグリット流シュルレアリスムを作ったのだと思いますね。

 

 マグリットが人前を避けて愛妻と狭いアパートでひっそり地味に暮らしたことも、自分の心という「パンドラの箱」を開けないための賢明な工夫だったように思います。

 

  下の写真のようにアパートのリビングで当時のベルギーのサラリーマンと同じいで立ちで絵を描いたというマグリット。

 

"[ N ] Jacqueline Nonkels - Rene Magritte paints Helderzeinheid (1936)" Photo by cea +

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 下の写真は「無謀な企て」を描いているマグリットです。

 

 この絵の画家はマグリット自身、女性は愛妻ジョルジェットがモデルです。

 

 マグリットがパリにいた時期に発表された「無謀な企て」は、男が理想の女性像を彫刻し恋をしたという「ピグマリオン」から着想を得ています。

 

"Royal Museums of Fine Arts of Belgium" Photo by Jacqueline Glarner

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 この絵では、画家が理想の女性を描き命ある存在にしようと企てている場面を描いています。

 

 ユーモラスで悪戯心溢れる作風はまさにマグリットですね。

 

 絵の女性に命を吹き込むなんて人間には不可能です。

 

 そして、自分の理想像を現実の女性に押し付けたら不幸になるでしょう。

 

 二重の意味で「無謀な企て」なんですね。

 

晩年のマグリット。自宅リビングにて。

"René Magritte by Daniel Frasnay, 1966" Photo by Pierre Arronax

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 「無謀な企て」を以前は「コミカルだけどシュールでおもしろいな」と思ったんです。

 

 でも思春期に起きた母親の死にまつわるマグリットの罪悪感を想像すると、もしかしたら「無謀な企て」の解釈は、通説とは違うのではないか?と。

 

 「無謀な企て」で描かれたのは、マグリットの「自分が死に追いやった母親を再び命ある存在にしたい」という願望なのでは…と思ったんですね。

 

 マグリットにそのような思いがあったとしても不思議ではないように思うのです。

 

 それがマグリットの無謀な企ての真意だったのではないでしょうか。



(※今回は2021年3月4日の過去記事をリライトしました)