「東京暮色」(1957年) | ネコ人間のつぶやき

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 「東京暮色」(1957年)は、名匠小津安二郎がある家族の崩壊を通じて人生の暗部を描きます。

 

"p832787390" Photo by jdxyw

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 銀行の監査役・周吉(笠智衆)には昔、元妻が出奔した過去があります。

 

 周吉の長女・孝子(原節子)は夫と折り合いが悪く、娘を連れて実家に身を寄せています。

 

 次女の秋子(有馬稲子)は、雀荘に集う悪友達とつるむうちに、そのうちの一人・木村の子を身籠もります。

 

 秋子は木村を捜しますが、彼は秋子を避けて逃げ回っているので会うことが出来ません。

 

 ある日、雀荘の女主人・喜久子(山田五十鈴)が自分のことを尋ねていた、と聞いた秋子は、「喜久子が顔を知らぬ自分の母親ではないか?」と感じます。

 

 本作の基がエリア・カザン監督、ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」ですから致し方ないですが、いつもの小津作品とは違う暗さでユーモアもありません。

 

 「東京暮色」は、「エデンの東」よりも日常的であり、それだけにドラマティックな展開は控え目です。

 

  きょうだい間の葛藤をにおわせていますが、「エデンの東」ほど中心テーマではありません。

 

 「東京暮色」は親子関係における愛情と恨みを中心に描いていますね。

 

 恨みとは甘えの反対です。

 

 母親の愛情を期待し、求めつつもそれが叶わなかった秋子の積年の恨み。

 

 「エデンの東」の方が悲惨な結末であり、同時に救いのある話だと思います。

 

 なぜなら「東京暮色」は、主人公を赦しの道へ導く女神的存在が不在なんです。

 

 だから、ただただ恨み、憎しみ、赦せない。

 

 そこが 「東京暮色」と「エデンの東」との大きな違いだと思いました。

 

 そのぶん、「東京暮色」はよりリアルなのかも知れず、家庭の崩壊を描いたという意味では小津安二郎らしい作品なのかも知れません。