「リトル・ダンサー」(2000年)を観直しました。 親子愛・師弟愛を軸に少年の成長を描く名作コメディです。
""Billy Elliot"" Photo by Movies in LA
source:
以前記事にしましたが、 再レビューします。
主人公はイングランド・ダラム州の炭鉱町に暮らす11歳のビリー・エリオット(ジェイミー・ベル)。
炭鉱労働者の父と兄は、組合仲間とスト決行中。
毎朝、警官隊がにらみを利かせる緊迫した中、スト破りの労働者が乗るバスに卵を投げつけ罵声を浴びせています。
ビリーは最愛の母を亡くした喪失感の整理がつかないまま、認知症の祖母を世話するヤングケアラーでもあります。
ビリーは父親から手渡されたなけなしの小銭でボクシング教室に通っているけれど、本当にやりたいのはバレエです。
でもマッチョな父と兄が許すわけないから、ボクシングジムに間借りしているバレエ教室を眺めている。
ある日、ダンス教師のウィルキンソン先生(ジュリー・ウォルターズ)はビリーの才能を見抜きます。
こっそりウィルキンソン先生のバレエ教室に通い、ダンスに没頭してゆくビリー。
でもダンスを間違いなく反対するであろう父と兄を認めさせられるか?と悶々とするビリーにウィルキンソン先生が問いかける。
「あなた、このままでいいの?反抗しないの?」。
この映画のサントラ、選曲も良い。
ストに参加していた兄が捕まったためオーディションに行けなかったビリーが一旦父と兄に屈服。
その後、ビリーは住宅の屋根から通りを踊りながら駆け抜ける。
この名シーンで流れるのがTHE JAMの「Town Called Malice 悪意という名の街」。
曲の疾走感がビリーの悔しさを吹き飛ばすかのよう。でも、それが清々しく瑞々しい。
歌詞はビリーや父親はじめ町の住民の心境を歌っているかのようです。
廃れた町に暮らす閉塞感とどん底感。
ここから逃げ出したいけど嫌いじゃない、というアンビバレントな町への想い。
映画でも描かれる終わりゆく炭鉱 で働く労働者に厳しい対決姿勢のサッチャー政権、そして英国特有の階級間の軋轢と闘争。…
80年代のイギリスの労働者階級を描いた映画にはザ・ジャムやスタイル・カウンシルを率いたポール・ウェラーの音楽が似合いますね。
でも「リトル・ダンサー」には悪意のある人間が一人も登場しないんですよ。
考えの違いで時に戸惑ったりぶつかったりするだけで、誰も悪くない。
「リトル・ダンサー」のそういうところもいいんだな。
ちょっと切ないところも作り手の優しい視線で救ってくれます。
ビリーに片思いするゲイを自覚する親友マイケルとのエピソードも優しさでもって爽やかに描いています。
不器すぎる父親の息子への熱い愛情もよい。
特に僕はビリーとウィルキンソン先生のやりとりが大好きです。
先生がビリーにオーディションを勧め、そのために無償で個人レッスンまで提案するシーン。
すれ違いコントみたいなやりとりの後、2人が笑いをこらえているところが最高!
どこまで台本かアドリブなのかわからないけど、ユーモアの後に心温まるんですよ。