6月11日にサッカー日本代表がセルビア代表と国際親善試合を行います。
セルビアの監督はドラガン・ストイコビッチ。
"DSC_3690" Photo by lefty1007
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「ピクシー(妖精)」の愛称で親しまれ、名古屋グランパスの選手・監督として記憶にある方が多いと思います。
今回の親善試合はピクシーの凱旋でもあるんですね。
ピクシーが今年3月にセルビア代表監督に就任して、W杯予選2勝1分け。流石に良いスタートです。
ヨーロッパ予選は厳しいけれど、ピクシーには本大会出場して欲しいですね。
セルビアは元は旧ユーゴスラビアの一部です。
ユーゴはかつて「東欧のブラジル」と呼ばれ、テクニシャン揃いの国として有名でした。
ユーゴは多民族国家でしたが、80年代に入ると民族・宗教紛争が激しくなっていきます。
そういう難しい時代のユーゴ代表最後の監督が元日本代表監督のオシムさん。
"Ivica Osim - SK Sturm (1999)" Photo by Radiofabrik - Community Media Association Salzburg
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争い合う各地域が「自分の所の選手を代表の試合に出せ!」とオシムさんに圧力をかけてきたそうですが、オシムさんは屈しませんでした。
皆の要望を聞いて各地域のタレントを皆使うと、チームはバランスを崩します。
じゃ、豊富なタレントから誰をチームの中心に据えるか?
オシムさんはストイコビッチにその役割を託すのです。
オシムさんがピクシーを「献身的」と評価していたからなんです。
ユーゴは1990年ワールドカップでベスト8。大会ベストイレブンに選ばれた司令塔のピクシーを中心に魅力的なサッカーを展開しました。
しかし、その後ユーゴはついに内戦が勃発。多くの悲劇を経て国が分裂してゆきます。
1990年W杯のユーゴ代表(青)
"Mondiale 1990: Germania-Yugoslavia 4-1" Photo by Nazionale Calcio
source: https://flic.kr/p/vQzAu4
1994年、ストイコビッチはマルセイユからJリーグの名古屋グランパスエイトへ移籍。
現役バリバリの世界的プレイヤーがサッカー後進国に来てくれたんです。
特にグランパスは、当時「Jリーグのお荷物」と言われて悔しい思いをしていましたから嬉しかったですね。
数々の美技を披露して別格のサッカーを魅せてくれたピクシー(グランパス監督時代の革靴ボレーシュートも凄すぎた)。
ベンゲル監督のパスサッカーがピクシーを中心に花開いてグランパス初の天皇杯優勝。
その後ベンゲル監督がイングランドの名門アーセナルの監督に招聘されると、ベンゲルからアーセナルに誘われたピクシー。
でもピクシーは世界最高峰のプレミアリーグに行く大チャンスを断って名古屋に残り、現役引退までグランパスで戦ってくれたんです。
引退後、監督としてグランパスを初のJリーグ優勝に導いてくれました。ありがとう、ピクシー!
"NAGOYA GRAMPUS Head Coach Dragan STOJKOVIC" Photo by lefty1007
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オシムさんやピクシーは戦争の悲劇を体験しています。
だから、サッカーができるありがたさをよく知っている。
実際、今世界で活躍中の旧ユーゴ圏の選手達は、子ども時代に内戦の傷跡が生々しい廃墟でボールを蹴って育っているのです。
サッカーができる平和を当たり前と思わずに、それを守っていかないといけませんね。
それからピクシー、次の日本代表監督になって下さい。お願いします。