マルセル・デュシャンの「泉」~アートはみんなのもの | ネコ人間のつぶやき

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 下の写真はマルセル・デュシャンの「泉」です。非常に有名な「アート作品」です。見ての通り、既製品の男性用小便器が置いてあるだけです。「これが芸術なのか?」と思われたかもしれませんね。

 

 オリジナルの作品は紛失しており、現存しているのは写真とレプリカです。レプリカ作品を以前展覧会で観ましたが、確かに既製品の小便器に「R.MUTT 1917」というサインがしてあるだけでした。

 

 当時の私は全く現代アートに関心がなく「これもアート?」と不思議な感じがしましたね。

 

「泉」(1917年)

"[D] Marcel Duchamp-Fountaine(1917)" Photo by cea+

source: https://flic.kr/p/9o4jxg

 

 実際「泉」は発表当時美術界に物議をかもしたのですが、この「泉」は美術史上最大の衝撃を与えました。

 

 そして「泉」はアートの概念を変え、現代アートの潮流の源になった金字塔的作品なのですね。

 

 「芸術」とか「アート」と聞くと、なんだか高尚で難解という印象がついてまわりますが、デュシャンの「泉」は「アートと日常の暮らしの境界線は実はない」と教えてくれていると感じます。

 

 実際、部屋に花や絵葉書を飾ったり、趣味で俳句をしたり映画を観たりするのは日常です。そして特別な訓練や才能を持った人だけが(職業して成立させるとなると話はまた難しくなりますけれども)アーティストでもない、ということですね。

 

 小便器という既製品をアートにした、という「レディ・メイド」。一からすべてを作るだけがアートではなく、既にある物などで自分のコンセプトやメッセージとして伝えることもアートの役割になりました。

 

マルセル・デュシャン

"Marcel Duchamp signage from show at National Portrait Gallery" Photo by Sarah Stierch

source: https://flic.kr/p/6JCXQJ

 

 こう考えると「アートは庶民のものなんだ」と改めて思います。こういうコンセプト自体がアートの精神ですし、アートそのものでもあるわけですね。

 

 実際、皆が自然に集まってストリートで歌を歌ったり、その様子をSNSで発信できる時代になりました。私たちは今や受け手なだけでなく、作り手にもなっているのですね。

 

 それだけに、「これはアートなんだ」という自覚を持って表現することや、自分の貴重なコンセプトやメッセージを表現として伝えることに伴う責任を持つことが大事ですね。

 

 それがアーティスト、あるいはアートとしての人間の義務というものでもある、ということでしょう。

 

 

黒猫ところで、遅まきながら、私もおみくじを引いてみましたら、私の2017年のおみくじ結果は・・・

 

 


 

 なんと「大吉」!。大吉なだけに内容が最強レベルのものばかりです猫

 

「きっとボクたち招きネコのおかげで大吉なのニャ」