今回は「アジャストメント」(2011年)からお話を。舞台は現代、大都会のニューヨーク。若手下院議員のデヴィッド(マット・デイモン)の前にある日突然「運命調整局」が現れます。彼らの仕事は、その人の決められている運命が逸れ始めたら、秘密裏に元の運命に戻すこと(アジャストメント=調整)なのです。
その事実を偶然知ったデヴィッドは、運命調整局からこの事実を口外しないこと、そして偶然出会って互いに一目惚れしたダンサーのエリース(エミリー・ブラント)と二度と会わないことを約束させられるのです。
もしデヴィッドが約束を破ったら「リセット=記憶から全てを消される」という恐ろしいことになるぞ、と。理由は不明ですが、デヴィッドとエリースは結ばれてはならない、と運命調整局はいうのです。
そもそもニューヨークの街には90万人もの人たちがおり、エリースの連絡先も知らないデヴィッドが出会う可能性はゼロに等しいわけです。ところが3年後にデヴィッドはエリースを偶然見かける。デヴィッドはエリースの元へ。でも運命調整局の監視がすぐにそれを察知します。やがて明らかになる理由。さて、デヴィッドはいかなる選択をするのか・・・。
政治家としての大志を抱くデヴィッドと一人の人間としてのデヴィッドは選択を迫られるわけですね。禁を破って運命の恋の相手であるエリースを選択すれば、運命調整局がデヴィッドを即リセットするために追ってくる。
人は敷かれた道を歩くのを好むことが多いかもしれませんね。それは安心だからでしょうね。もし自分の自由なる意志を第一にして、道なき道を歩むことを選択したなら、予期せぬ数々の障害や、時には命懸けの危険も待っているかもしれない。でも、ある人は自分の自由意思を第一にする。
敷かれた道(この映画ではそれが「運命」)を、リスク承知の上で外れて自分の道なき道を歩くのは勇気がいりますが、それこそ実はその人の「運命」なのかもしれないですね。
原作はフィリップ・K・ディック。彼は「ブレード・ランナー」、「マイノリティ・リポート」、「トータル・リコール」といったSF映画作品の原作者ですね。
「人間が疑いもしない現実が実はそうではなかったならば・・・」という、フィリップ・K・ディックが好む作品テーマが「アジャストメント」にも込められている。だから彼の作品はSFというより、一種の哲学的な要素が非常に強いですね。
そして、そもそも運命の恋というものは、いかなる障害や横槍、すれ違いさえも超えてしまうものかもしれない。少なくとも理屈やテクニック云々ではないですね。
というわけで、この作品を「運命に従う人生と選択する人生」という人生論的視点で観ても良いのですが、究極の恋愛物語として観ると、また味わいが違って良いのですよ。
街はクリスマス色になりつつありますしね。まだ本作を観ていない方は、これを機会にご覧になってはいかがでしょうか(というわけで今回の記事のジャンルは「男女関係」にしました)。
主演のマット・デイモンは、見た目も含めてどこか親近感のある等身大の男性像ですから、この物語に共感して入り込めやすい気がしますね。ヒロインのエミリー・ブラントは、振り幅の広い若手演技派で、英国人女性らしい気品もあって良いのですよ。