高齢期に幸福でいるために重要なこと:老年心理学の立場から(塩﨑麻里子) | Thera-Projects掲示板

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 年を嵩むことで、何を悟るか、経年がその心境にどのような影響を与えるのか? 私どもすべてに通じる思いであると悟れるか否かは不確です。老人パワーは、歓迎されない悪しきものだと思いがちであるが良きものに変え得るのか? Old Soldier Never Die! は、国際的によく使われています。そんなことを仲間と語り合う中で、近畿大学の心理学専攻の塩崎先生をご紹介頂きました。お会いした折、先生にISCO会報に「高齢者の生き方」に関する内容の文章を投稿して頂きました。

 大変、示唆的内容を含んだ読み応えのある文章を提供していただけましたので弊社団のamebloに挙げさせて頂きました。

一般社団法人テラプロジェクト 理事長 小林 昭雄
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高齢期に幸福でいるために重要なこと:老年心理学の立場から

近畿大学総合社会学部
塩﨑麻里子


超高齢社会の日本の課題
 日本は世界一の超高齢社会です。超高齢社会とは、65歳以上の高齢者の割合が、総人口の21%を超えた社会を指しています。内閣府(2022)の高齢社会白書によると2021年の日本の高齢化率は28.9%であり、その基準を大きく超えていることになります。推計では、この高齢化率は、2065年には38.4%にもなると考えられています。また、平均寿命は、男性が81.47年、女性が87.57年であり(厚生労働省,2022)、多くの人が長寿を迎える社会といえます。
 ドイツ出身の心理学者エリクソンは、人間のライフステージを8つに分けて、それぞれのステージで向き合うべき発達課題があると論じました(Table1)。人生最終段階の発達課題は「自己統合」です。これまでの人生を振り返り、自分が生きてきた人生や自分自身を肯定的に受け入れること、また世代間のつながりの中に自分を位置づけ、次世代へ希望をつなぎ、自分の人生の意味を見出す「自己統合」と、自分の人生が自分のものでなかったと感じたり、本来の自分らしく歩めていなかったことに気が付いても、取り戻すには遅すぎるために感じる「絶望」との葛藤が課題とされています(Erikson, 1982)。各ライフステージでは、生涯発達していく上で重要な課題が提示されていますが、自分の人生を納得して生き切るために、人生の集大成の時期は最重要ステージといえます。この最重要な時期を、いかに自分らしく創造していくのかが、超高齢社会における個人の、そして社会の課題といえるでしょう。


幸福な老いとは?
 一般的に、老いは「喪失」の時期とされてきました。当たり前に感じていた若さや健康をはじめ、社会的な仕事や役割、収入、大切にしていた友人や家族などを喪失していく機会が多いからです。長寿を手にしたことは、身体的・社会的・心理的な沢山の喪失を経験しながら生きる時間が長くなったことも意味します。そのため、老年期は、衰退・依存・非生産性という3つのネガティブな言葉で表現されることも少なくありませんでした。
 高齢期に経験するネガティブな出来事だけでない、ポジティブな側面に注目が集まり始めたのは、1960年代に入ってからです。アメリカ老年心理学会で「サクセスフルエイジング」という言葉が注目され始めたことがきっかけだと言われています(杉澤,2015)。サクセスフル・エイジングは日本語では、幸福な老い、幸せな歳の重ね方…など様々に訳されますが、適切な和訳がないので本稿では、カタカナ表記のまま論を進めます。
 サクセスフルエイジングは、これまで社会学・医学・心理学などの専門性や問題意識から、それぞれの定義がなされ、モデル提案されました。社会学モデルで最も有名なのは活動理論です。このモデルでは高齢者が持っている心理社会的ニーズを引き出し、社会から引退させずに、活動を継続することが、サクセスフルだと定義します(Havighurst, 1961)。つまり、社会から引退せずに、生涯現役で、アクティブに活動を続けているシニアが、幸福な歳の重ね方なのだから、いかにして社会に高齢者が働ける居場所を作るかに焦点化されていました。
 医学モデルは、疾患に罹患していない、または疾患のリスク要因を有しておらず、機能障害がなく、社会参加をしていることがサクセスフルとなります(Rowe & Kahn, 1987)。医学領域では、「健康」が柱になりますので、若さを保つことに焦点化され、老化に抗うアンチエイジングという発想になるわけです。アンチエイジング医学においては、老化をひとつの病気として捉え、老化を予防し、治す時代が近づいてきていると言われることすらあります。
 しかし、この世に生まれたものは、いずれ必ず死を迎えます。できるだけ若々しく、元気で過ごせる時間が長くなり、健康寿命が延びるのは喜ばしいことですが、自然の摂理として、私たちの身体は老いて、いずれ必ず機能低下し、アクティブな生活ができなくなります。そのような老いへどのようにすれば適応できるのかを提案したのが心理学モデルです。Baltes(1997)の提唱したSOC理論(Selective Optimization with Compensation;選択最適化補償理論)では、加齢に伴う喪失に対して、目標を変えて(選択)、限られた資源を目標達成のために効率よく配分し(最適化)、他者の援助を借りて(補償)、目標を達成し続けることがサクセスフルであるとされています。つまりSOC理論によると、社会から引退しても、健康を失っても、私たちは自律的に人生を選択し、目標を達成する戦略をとることができれば、高齢期にも幸福で心理的に良い状態(well-being)を保つことが可能と考えられています。

高齢期に幸福でいるために大切な要因
 高齢期に心身共に健康で、幸福でいるためには何が大切なのかを追求した研究があります。ハーバード大学の発達研究は、75年に渡って、約20億円かけて継続された超長期的な研究です。人生を実際に追跡する形で実施されたこの研究は、考えつく限りの幸福に影響する可能性のある変数が測定され、高齢期の心身の健康と幸福との関連が検討されました。経済的要因、結婚状況、子どもの有無、家族の関係性、幼少期の母子関係、仕事内容、IQ、生活習慣…本当に多くの要因が細かく検討されました。長期的な研究なので様々な研究成果が報告されていますが、繰り返し強調され、最も重要な要因であることが判明したのは、「信頼できる他者との暖かな関係性」でした。
 この他者との信頼できる関係性が重要だということは、高齢期の幸福感だけでなく、認知症発症率の低下(Kuiper et al., 2015)や寿命の延伸(Holt-Lunstad, 2010)にも大きな影響をもつことが近年のメタ分析の結果わかり、大変注目されています。社会とのつながりがないことは、これまでの健康リスク要因の代表格とされてきた喫煙、過度の飲酒、肥満、運動などに比べても、匹敵する、あるいはそれ以上の死亡リスクであると示されたのです(Figure1参照)。「世界で一番恐ろしい病は、孤独」とはマザーテレサの言葉ですが、まさに他者とのつながりが、人間の健康や幸せを考える上で、インパクトのある要因だということが世界の共通認識とされる時代になったのです。

 しかしながら、世界と比較した時に、日本の高齢者は、家族以外の他者とのつながりが希薄であることがその特徴として知られています。例えば、60歳以上を対象とした内閣府の国際比較調査(2021)で、家族以外の親しい友人がいるかという質問に対して、日本人の31.3%はいないと回答しています。米国14.2%、ドイツ13.5%、スウェーデン9.9%に比べてかなり高い値となっています。さらに、同様の調査では、独居の男性高齢者に限ると20%が、困った時に頼れる人がいないと答えています。幸せな高齢期どころか、社会的孤立、孤独死といった言葉がリアリティをもって、頭をよぎる数字です。さらに、孤独を感じている人は、認知的ゆがみが生じて、他者との関係性を築くのが難しいことが知られています。SOC理論で、最期まで自律的に自分らしく人生を生き切るためにも、他者からの支援を引き出すことは不可欠です。
 ただ、信頼できる他者との暖かい関係性は、日々の生活の中の一つ一つのやり取りの中で培われていくものであるため、短期間で環境を改善することは困難です。さらに日本は欧米に比べて、他者との調和や周囲との関係性を重視する文化をもっています。そのため、幸福でいるためにも,他者との関係性はより重要な位置づけになります。しかし,社会的流動性が低い環境において他者との関係性の優先順位が高いことは,逆に大きなストレスにもなることから、おひとり様文化が根強く、周囲に迷惑をかけないことが美徳となり,他者とつながりにくい社会へと加速していってしまうのです。日本のこの状況を、社会として、個人として、どう向き合い、乗り越えていけば良いのでしょうか。

老いを人生の収穫の時にするために
 金持ちであっても、権力者であっても、知識人であっても、私たち人間は、この世に生まれたからには、必ず100%の確率で死を迎えます。そのタイミングは誰にもわかりません。けれど、その日までどう生きるかは私たちの選択です。そしてその選択の繰り返しが、私たちがこの世を去る時の状況を作るのです。日本にホスピス・緩和ケアを広めた第一人者の1人である柏木哲夫は、「人が生きてきた『生きざま』が『死にざま』に凝縮される」と述べています。不平不満を言って生きてきた人は不平不満を言いつつ、周りに感謝して生きてきた人は感謝しながら、生きてきたように死んでいくというのです。
 是非、折に触れて、自問自答してみてください。自分は、どのようなことに喜びや幸せを感じてきたのか?人生の最期に傍にいて欲しい人はどのような人たちなのか?その人たちに、どのような人だったといわれたいか?人生の最期の締めくくりを、信頼できる愛する人たちに見送ってもらい、その人たちの思い出の中で生き続けるために、いくつであったとしても、今からできることがきっとあるはずです。人生において、何を選択するかに意識をむけると、おのずと何に時間と想いと労力を使うべきかが見えてきます。
 老年心理学の様々な知見は、老いることに伴う喪失を避けることはできなくても、私たち人間は生涯成長できることを示しています。人生の最期には、その人が生きてきた文化的様式から影響を受けた思考・行動パターン、人生における価値の志向性、人生を乗り切るための対処方略と感情調整方略、自分を形成する上で重要な記憶の伝達、そして、他者との関係性が大きく影響するといえるでしょう。そのひとつひとつが、私の関心事であり、研究対象です。高齢者がマジョリティとなった社会を支えるという視点だけでなく、高齢者が若い時には見えなかった景色をみることのできる存在として老いを愉しみ、豊かな実りの時間を過ごせる社会の仕組みづくりにおいて、何ができるのか。かつて人類の夢であった長寿を手にした私たちが、いま取り組むべきは、様々な分野の叡智を集結して、この哲学的ともいえる問いに挑み続けることだと感じています。

引用文献
Batles, P. B.(1997).On the incomplete architecture of human ontogeny. Selection, optimization, and compensation as foundation of developmental theory. The American Psychologist, 52 , 4, 366-380.
エリクソン著,村瀬孝雄・近藤邦夫訳(2001).ライフサイクル、その完結 増補版,みすず書房.
Havighurst, R. J. (1961). "Successful ageing". The Gerontologist, 1, 8-13.
Holt-Lunstad, J., Smith, T. B., & Layton, J. B. (2010). Social relationships and mortality risk: a meta-analytic review. PLoS medicine, 7(7), e1000316.
厚生労働省(2022).令和3年簡易生命表https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life21/index.html (2022年11月18確認)
Kuiper, J. S., Zuidersma, M., Voshaar, R. C. O., Zuidema, S. U., van den Heuvel, E. R., Stolk, R. P., & Smidt, N. (2015). Social relationships and risk of dementia: A systematic review and meta-analysis of longitudinal cohort studies. Ageing research reviews, 22, 39-57.
内閣府(2022).令和4年度版高齢社会白書 https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html(2022年11月18確認)
内閣府(2021).令和3年度版高齢社会白書(https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2021/html/zenbun/s1_3_1_3.html(2022年11月18確認)
Rowe, J. W. & Kahn, R. L.(1987).Human aging: Usual and successful. Science, 237 , 143-149.
杉澤秀博(2015).豊かな生き方,豊かな社会を考える サクセスフル・エイジングとは何か:高齢期の生き方のモデル.『TASC monthly』 476 , 12-17.