横浜に行ってきました(2日目その2) | 人 畜 無 害。

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重箱の隅を突き回すようなブログです。

三渓園の続きです。

木が邪魔になって建物の様子がよくわかりませんが天授院です。

鎌倉の建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂だった建物だそうです。

経緯としては心平寺が廃寺になった後に建長寺が創建されたようなのですが

中に安置されていた地蔵菩薩像は今でも建長寺に伝来しているそうです。

原家ではこの建物を持仏堂として使っていたそうですが

今は特に使用されていないようです。

ちなみに三渓園ホームページの天授院の紹介ページでは

紅葉時に撮られた写真が使用されています。

聴秋閣。

二条城→稲葉家江戸屋敷→二条公爵邸と移築を繰り返した建物です。

聴秋閣と名づけられたのは三渓園移転後だとか。

茶室ではあるのですが貸出はなされておらず

外観見学のみのようです。

窓は開けてあるので近づいて内部の写真を撮ることは可能だったと思いますが、

既にどの建物が近づけてどの建物が近づけないのかの

記憶があやふやになっちゃってます。

春草廬。コレも茶室です。

この日は使用されていなかったようですが貸出施設です。

なのでガラス窓になってるんですな。

増築を繰り返して現在に至ったようなのですが

一番古い部分は織田有楽斎が作らせたものだとか。

あちこちから古い建物を移築した三渓園ですが

道標のたぐいまで持ってきちゃってます。

とは言えもうなんて書いてあるのかよくわからなくなっちゃってますが。

右の方は文面からすると寺院の山門の脇にあった注意書き的なもののようです。

竹林。

その奥にある建物は蓮華院というのですが

コレは移築物ではなく原家による建設です。

竹林の見える茶室、というコンセプトで

園内の別の場所から移転しています。

なんでこんなに茶室ばっかりあるんだ?

と思わなくもないけど

大名庭園だって矢鱈に茶室があるからねぇ。

海岸門。

前回も書いたけど当初は原家の私邸だった現在の内苑と

当初から公開されていた現在の外苑を仕切る門だと思うのですが

塀が申し訳程度にしか無く回り込んでの出入りが可能な現状です。

まあ、原家から財団法人に所有が変わって60年以上、

内苑が一般公開されるようになってからでも

50年以上経過しているので

その間に塀が撤去されていたのでしょうが。

松風閣跡。

小山の中腹に原家が建てたレンガ造りの洋館で

客人をもてなすための屋敷だったそうですが

関東大震災で倒壊してその後は再建がなされませんでした。

園内のあちこちに三渓園今昔というタイトルで

古い写真や絵葉書をパネル化したものが掲示されていて

往時の松風閣の写真もあるのですが

敢えて写真は載せないでおきます。

で、松風閣の名は戦後建てられた展望台に引き継がれています。

この小山、開設当時はすぐそばが海だったようですが

高度経済成長時に埋め立てられ工業地帯になってて海が遠くなってしまい

わざわざ小山を登ってまで見るほどの景色ではありません。

それ以上に展望台なのに展望に配慮した

樹木の手入れがなされていないのはねぇ。

まあ、土地勘のある人はわざわざここまで登ってこないんでしょうな。

旧燈明寺三重塔。

三渓園のほぼ中央の小山の上にあり

園のシンボル的な建物です。

この三重塔は京都の木津川市にあった燈明寺からの移築で

室町時代の建築物とされています。

この頃になると雨はほぼ上がっていたのですが

庭園内は石畳があったり無舗装の山道があったりで

転倒こそしなかったけど足の運びには結構気を使いました。

特に傘をさしながらだととっさのときの動きに制約があるので

雨が上がって一安心と言ったところです。

 

続きます。

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