横浜に行ってきました(2日目その1) | 人 畜 無 害。

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重箱の隅を突き回すようなブログです。

えー、2日目なんですが朝から雨でした。

泊まったホテルは所謂ベッドアンドブレックファーストのホテルなのですが

防音はしっかりしていて隣の部屋や廊下の物音が気になることはありませんでしたが

外の雨音も全く聞こえなかったので

朝食のため1階に降りてきたらホテルを出る人が次々に傘をさして出ていってるのを見て

雨が降っていることに気づきました。

まあ、予報では昼ごろまで雨と言ってたんだけどね。

しかも結構激しく降る時があったり強い風が吹くときがあったりで

バスターミナルの屋根がほとんど役に立っていませんでした。

でも「昼過ぎにはあがる」という予報を信じて予定通りに行動しました。

まず訪れたのは三渓園です。

一応庭園なんだけど見ものは庭ではなく

創設者があちこちからかき集めてきた建物群なのです。

到着したのが開園の5分ほど前だったので

入口前にたむろっています。

鶴翔閣。

コレは移築建築物ではなく

この庭園を拵えた原家の住宅です。

コレだけの敷地にコレだけの建物を有する庭園を拵えた資産家だけに

住宅の大きさもどこぞの大名の御殿かというくらい広いのですが

貸出施設のため内部見学は不可のようです。

しかもこの日は3連休の中日でしかも大安と言う事で

結婚式の予定が入っていました。

流石に朝の9時から始めはしないだろうけど

準備のためにあれこれ動いてるようでした。

御門。

京都の東山にある西方寺からの移築だそうです。

三渓園は内苑と外苑に分かれていて

外苑は創設当初から一般開放されていましたが

内苑は創設当初は原家の私邸でした。

なので嘗ては実用性の有る門だったのでしょう。

この近くに三渓記念館という美術館兼資料館があるのですが

内部撮影不可だしアタシのツボにハマったものもないので省略します。

臨春閣。

和歌山県岩出市に有った紀州徳川家の別邸を移築したものと見られていますが、

聚楽第の遺構の一部という説も有ったそうです。

この日はお茶会のイベントが有って

一部の建物には参加者のみ上がれるようになっていたようですが

ここは開放されていなかったみたいです。

旧天瑞寺寿塔覆堂。

豊臣秀吉が母親のために建てた寿塔(生前に建てておく塔婆)の入れ物です。

天瑞寺自体は大徳寺の塔頭だったのですが

廃仏毀釈の煽りを受けたのか明治初期に廃寺となったため

移転を繰り返した後覆堂のみがここに移築されたようです。

寿塔本体は現在も大徳寺内の別の塔頭に収められているようです。

屋根付橋。

多分コレは移築品ではなかったはず。

屋根下の部分がベンチ状になっています。

構造自体はしばしば見かけるのですが

屋根とベンチの小さいものはなかなかないように思えるのです。

臨春閣の一部。

離れのようになっているこの部分は

軒先まで近づけます。

江戸時代初期の建築だそうですが

あんまり状態は良くないですねぇ。特に天井の状態は目に見えて悪いですね。

やっぱり予算的な問題なのかな?

ちなみに障壁画のオリジナルはは取り外されていて

三渓記念館で随時公開されるそうです。

ということはここにあるのは当然レプリカということになるんだけど

劣化というか退色が酷いね。

維持管理費という観点からすれば

入園料500円は安すぎるのかも。

臨春閣の裏手。4枚目は白雲邸。

白雲邸もこの日は茶会の会場でした。

入口は御門を入ってすぐのところにあるのですが

建物と塀との距離が近いので

庭からでないと建物の写真が撮れないのです。

敷地としては臨春閣と白雲邸は隣接しているのですが

生け垣と門があって直接の行き来はできません。

月華殿。伏見城からの移築と言われています。

ここも貸出施設として茶会の会場になっていました。

順路に従って移動していると

崖の上にあるようにみえるのですが

単に高低差があるだけでした。

このあたりには紅葉が植えてあるので

紅葉狩りの季節には見ものでしょうね。

 

続きます。

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