皆さんこんにちは!
manabeing のONです。
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ヒーラーでカウンセラーのmanabeing ONが
日々実践し、そこから得られた氣付きや感じることをシェアする場です。
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先日
「9.11」のことに触れた記事を
アップしてから
ずっと
「9.11」がついて回っていました。
大きな光の要素
であることは理解していても
この世界、
集合意識が持つ
「9.11」に対する認識は
「光」の要素として
受容できる状態には
程遠いものを感じます。
そんな事を思いながら
不意に導かれた作品が
『モーリタニアン 黒塗りの記録』
でした。
2021年10月29日、
日本で公開されたこの作品は
「9.11」
の事件直後、
容疑者達と深く関与する
首謀者の一人として告発されながらも
起訴されることも
裁判もされることのないまま
長期間、収容所に拘束され続けた
実在の人物、
”モハメデゥ・ウルド・スラヒ”
の手記を映画化したものです。
これが現実かと
目を覆いたくなるような
シーンもありますが、
事実を忠実に表現しようと
監督をはじめ、
キャストの皆さんの
作品に対する
真摯な想いと姿勢が
重いテーマを
非常に
冷静、シンプルに
それでいて
奥行きのある
作品に仕上げていると感じました。
観るもの
一人一人を
それぞれの内側へと
向かわせることのできる
作品でもあります。
物語の終盤
2009年12月14日
アメリカ政府を相手に
開廷した裁判の中での
スラヒの証言に、
「やってもない罪で
責められ続けた
だが許そうと思う
許したい
私を苦しめた人たちを
恨んだりはしない
アラビア語では
“自由”と“許し”は
同じ単語です
だから拘束されていても
自由になれる」
そう証言します。
わたしがこのブログで
お伝えしてきたこと
そして
自身の中に常にある想いと同じ
「許すことで
自分自身が救われる」
その事を
スラヒも言葉にしました。
この映画に関する
あるインタビュー記事で
彼は
「復讐も考えたが
最大の復讐は許す事だと。
わたしを拷問した人々が
許されるに値するから
許すのではありません。
わたしが
相手を許すことができる
人間でありたいから
許すことにしたんです。」
そう語っています。
簡単にその境地に
至ったわけでないことは
想像に難くありません。
それは
自分自身と向き合い続け
どうあることが
自身にとっての最善であるかを
問い続けた結果、
得ることのできた
自由であり
平安なのだと思います。
また、
彼の発言の中で
「復讐」
という言葉が
出てきましたが
その段階も
そこに至るまでには
必要であった事。
そしてさらに
段階を経る中で
その
「復讐」
という言葉も
必要のない時がくる事を想います。
ある日突然
想像すらしない現実を
受け容れることになった
スラヒは
「9.11」による
直接的な犠牲者では
ありませんが
多くのアメリカ国民が
「9.11」により
ある日突然
犠牲になった立場と
ある意味
同じであると感じます。
その当事者の彼が
アメリカ合衆国に対して
『許す』
と発言したことは
大きな意味を持つと感じます。
たった一言の
『許す』
の言葉の裏には
計り知れない
多くの苦しみ
悲しみ、
憤り、
それらの想いを
自らが昇華し、
受容した結果の
とても大きな一言です。
一人一人の想いから
発せられる
真実の声には
大きな力が宿る事を想います。
人は誰でも
過ちを犯すものです。
それは
その人がその時の最善だと
判断したことであっても
誰かにとっての最悪である
可能性も存在するからです。
(その過ちもその時の最善であり最悪です)
そんな世界にあって
彼のように
一人一人が
「向けられた刃を
そのまま返すのではなく
一旦
“許す”
という
覚悟と選択」
を持てたなら
観える世界はどうでしょう。
そして
強い立場にあるもの
高次にあるもの程
その覚悟と姿勢は
とても大切なことです。
全ての存在が
彼と同じような経験を
するわけではありません。
むしろ
そうである必要もありません。
それぞれが
自らの物語を持ちます。
その物語の
主人公である自分自身の
「在り方」
をどんな場面でも
追求し続けることは
この世界にとっても
自分自身にとっても
とても尊いことであると
想います。
”闇”を
誰かが生み出した
自分以外の誰かや何かに
責任を置いている以上
決して
恐怖や支配の連鎖から
逃れることはありません。
何かを変える、
何者かを変えることではなく
自らが変わることで
その連鎖、繰り返しから
抜け出し
新世界の創造に参加できるのです。
一人一人が
無いものとしてきた
邪険にしてきた
自らの片割れである
”闇”の
苦しみや怒りや
悲しみといった声を
我が子として
受け止め、
抱き参らせ
「許し、許される」
ことができたなら
。。。
魂の根本の希求は
「知る」
ことです。
”違い”を、
あらゆる”可能性”を
知りたいのです。
その為には
”闇と光のコントラスト”
が必要です。
魂は
ただ、穏やかな
満たされた世界で
何の変化もない時を
漫然と過ごす為に
生まれてきたわけではない
そう想います。
そうであるならば
どんなことも
最善である必然を
我が子として
自身の進化に繋げ、
一人一人の進化が
この世界の進化に
繋がることに
信頼を置くことです。
スラヒは
2010年3月22日勝訴するも
更に7年間拘束され
2016年10月17日釈放されました。
拘禁は14年2ヶ月に及び
現在も尚、制限のある生活を
強いられています。
大きな闇を受け入れ
彼が負った身体の傷、
心の傷は計り知れませんが
大きな闇と光を
自らのうちに
統合した一つの姿を
この世界に
見せてくださったことに
心からの敬意を表したいと思います。
また同時に
加害者側であった
存在に対して
わたしが負うべき
(この世界の全てを我が子としているわたしにとって)
大きな闇の痛みを
負ってくださったことにも
感謝いたします。
ただ、
それぞれの役割の中にあって
そこから
それぞれの魂は
何を学び、
そしてここから
どうあるべきか。
一人一人の
選択と行動による
責任が存在することも事実です。
そしてまた、
自らのうちに”闇”を
”光”へと変えて行く作業は
それぞれの
自由意思と責任になります。
”闇”を
”光”へと導くことは
「許す(赦す)」
=
「受け容れる」
ことから始まります。
そして
わたしが想う
一歩進んだ先にある
大切なこと
それは
その「許し」が
「分離に向かう“許し”」
となるのか
「統合に向かう“許し”」
となるのかです。
相対するもの同士の
選択に因って
物語は展開して行きます。
「許し」が
統合の道へと向かう
許した先にある
一歩、
進化した世界であることを想います。
社会に
大きな光をもたらす魂は
大きな”闇”を受容し
何が自身にとっての
「光の道」かを考え
言動を通じ
表現し続ける事で
大きな”光”を
受け取ることになります
それは
統合された自分自身が
外側に影響されることなく
自らのうちに
平安の境地を
もたらすことでもあります。
この作品は
わたし達一人一人に
『あなたはどう在りたいですか?』
と、
問われている事を思います。
最後に
13の月の暦では
「9月11日」の
サイ時間kinは
『33』
『33』は
キリストとマリアを象徴する数字
であると同時に
”集合意識”を超えた
”宇宙意識”を指す
数字でもあります。
そんな意味を内包する
「9.11 」は
”光”である事を示唆しています。
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最後まで
お読み頂きありがとうございました!
この世界を
光も闇も
大切な存在として受け容れ
皆さんと共に
美しい世界を創造できたら幸いです!
