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6月12日から
3日間の北海道の旅を終え
自宅に戻り、
旅を振り返り検証する中で
次に呼ばれている行き先を感じ、
広島と
東京行きを決めました。
直ちに乗車券、航空券、ホテルを予約し
計画を立てていたところ、
その数日後
明治神宮ミュージアムで
7月15日(土)より
「明治天皇と乃木大将〜大御心をいただきて〜」
が開催されることを知りました。
東京行きの予約は
まさに
その開催に合わせたかのように
7月15日出発。
こんな些細な出来事ですが
全てはその時の最高、最善のことしか
起こらないことを感じます。
今回は
広島の旅のお話の前に
『7月1日』の朝の出来事と
『1と7』の数字に関することを
お話ししたいと思います。
7月1日の朝
いつも通り神棚の水と榊の水を替えようと
榊を手にすると
少し前からに気にかけていた『蕾』が
花を咲かせていました。
この榊は今年のお正月前に
神棚に供えたものでしたが、
枯れることなく蕾をつけました。
時々、
そんな蕾をつける榊に
出逢うことがありますが、
『7月1日』
が気になりました。
というのも
ずっと、『1』と『7』が
現象界でも
頭の中でもアピールしており
その数字から
『昭和天皇』を想っていましたが
“1”と“7”を
13の月の暦で見て行くと
1=赤(竜=自分)=火(カ)
7=青(kin259=2+5+9=16=1+6=7明治天皇)=水(ミ)
1(火)+7(水)=8(無限、インフィニティ)黄=金(星)
さらに
178=白い鏡=白金とも取ることができ
178を分解すると
17/8→13の月の暦で8/17→グレゴリオ暦に直すと2月23日
わたしの誕生日になります。
それであちこちで
『1と7』がアピールしていたことを理解しました。
kin178の日を見てみると
自身の検証データ上では
自分自身が統合された世界の出来事が
随所に見られることから
わたしの中では
kin178も統合の意味を含むkinになります。
さらに
『1と7の関係』と同じように
『1と9の関係』もわたしにとって
意味を持つ関係です。
両方の関係性が伝えてくることを
検証すると
先ず、“1と7”(1/7昭和天皇崩御日)
1/7=13の月の暦では6/26でサイ時間kin192
7/1=13の月の暦では13/5でサイ時間kin=111(明治天皇崩御日古代kinの神秘)
∴“1と7”は明治天皇の要素(1と7は明治天皇<祖父>と昭和天皇<孫>の関係)
そして、“1と9”(1/9祖母命日、9/1母の誕生日)
1/9=13の月の暦では6/28でサイ時間kin192
9/1=13の月の暦では2/10でサイ時間kin23(わたしの誕生日の日にち)
∴“1と9”はわたしの要素(1とは9祖母とわたし&祖母と母の関係)
そしてkin192は
わたしが生まれた年の13の月の暦の一年の年回り(1970年7月26日〜)kinです。
元々そのエネルギーを纏っていたとも言えます。
さらにkin192の神秘は『69』で明治天皇の古代kinのガイド。
kin192は明治天皇の神秘のパートナーになります。
わたしと明治天皇が神秘のパートナーである事を伝えてきました。
これ以外の要素として、
両方の関係性から観えてくることは
3世代の繋がり、
特に“祖父母と孫”の関係性です。
祖母のわたしに対する想い、
明治天皇の昭和天皇に対する想い
そして逆も然り。
祖父母と孫の関係は
間に両親をワンクッション置くことで
客観的な視点を持って
互いと全体を観ることができる関係性
であるように思います。
その関係性の想いが強いため
“1と7”
“1と9”
その両方の意味を含む数字が
あちこちでアピールしてくることが分かりました。
そして、
7月1日に咲いた
神棚の榊の花が
その双方の想いが
”通じ合っていること
統合されていること”を
伝えてくれたと感じます。
もう一点
7月1日に、耳に入ってきたニュース。
「オリエンタルブリッジ(橋)67便
13:05(105=統合)異常発生、
乗客、乗員合わせて39(=明治天皇崩御日現代kinの神秘)名」
幸い、乗客、乗員39名にけがもなく無事
目的地である宮崎空港に着陸しました。
北海道の旅に出る前から
「6と7の架け橋」「統合」などの
ワードは常にわたしと共にあったので
7月に入るなり、
このような現象を使って
伝えられたことに
なんとも複雑な思いでしたが
一見“闇”と思われる中に
隠されたメッセージがあることの
「一つの例え」
であった様にも思います。
それでは、ここから
7月3日、日帰りで訪ねた
広島の旅のお話しです。
広島の原爆爆心地を訪れるのは
14歳の時の修学旅行以来です。。
原爆ドーム、
平和記念資料館に向かう前に
先ずは
広島大本営跡地に向かいまいした。
広島大本営は
それまで宮中にあった大本営が
1893年9月13日、
当時東京を起点とする鉄道網の西端
であった広島駅、
また大型船が運用できる港
宇品港(現:広島港)があったことで
前線に向かう兵站基地となった
広島に移ることになりました。
移転した2日後には
戦争を指揮するため明治天皇も移られ
日清講和条約調印後の
1895年5月30日までの227日間
この地で指揮を執った後、東京に還幸しました。
大本営はその後も台湾の統治機構整備など
戦後処理のために広島に留まり、
1896年4月1日に解散。
またこの時期
1894年10月に招集された第7回帝国議会は
この広島の地、広島臨時仮議事堂で行われました。
日本の憲政史上で唯一、
東京以外の場所で開かれた国会でした。
そのことから、
広島は臨時の首都機能を担った場所であり
また明治維新以降、
首都機能が東京から離れた唯一の事例です。
(参照:Wikipedia)
この地を訪れ、
その当時あったであろう
建物の基礎の一部分を見て
残るもの、残らないもの
この世界にとって
必要なもの、必要でないもの
そのことを思いました。
※広島大本営跡
※被曝したユーカリの木
※被曝したクロガネモチの木
この地が持つ歴史、
その中で
現在の日本に繋がる
それぞれの時代の周波数を
設定されていた時期に
一掃すべく
必要なこと全てが起こったことを
感じます。
何故、この土地が歴史上に残る
世界を動かす源になるほどの
『悪、闇』を受けることになったのか。
それほどに大きい『悪、闇』
であることは
イコール、それほどに大きい
『善、光』である場所でもあるのです。
そして、それは
一人一宇宙という世界観で観ると
今、ここに存在する自分自身は
既にある未来を
現象化する一端を担って
(全ての存在がそうです)
現れている存在であることを
ひしひしと感じました。
自らが選択している様に見えて
大いなる意思、
そして繋がる存在の周波数に導かれ
動かされていること。
それは、
13の月の暦のkinナンバーや
現象界が見せてくれる
自然現象が教えてくれます。
大切なことは
そのことに
気付いてあげられるのか。
一人一人
大いなるものの意思と、
計画の流れの中にあって
そこに繋がる入り口、道は
それぞれが持つテーマと
それぞれが持つ課題によって
違いはあっても
大元に繋がる意図(糸)は一緒です。
そのことを自らに信頼し
大いなる自分自身から
与えられ、
示される道を
歩き続けることです。
そうすることで、
自分自身に対する信頼も
自分自身で
強くして行くことができます。
広島大本営を後にし、
原爆ドームへ向かいました。
原爆ドームの生みの親である
“ヤンレツェル”。
宮城の松島で出逢った周波数
と共に眺めました。
この日のサイ時間kinにも
“ヤンレツェル”のkinが現れていた
そのことからも
想いの深さを感じると同時に
彼の意図ではなかったにせよ、
生み出された作品が
このような象徴になった事は
大いなるものの意図であった事を
理解してくれたように思いました。
ただ、別の視点で解釈すれば
どんなものにも寿命があるように
もし、原爆に合わなければ
別の原因によって朽ち果て
現存しなかったかもしれない。
原爆によって、
その存在を残すことができた
という捉え方もできるのです。
※原爆ドーム
続いて、
『広島平和記念資料館』
へ向かいました。
※鳩が迎えてくれました。
最近の報道でも見られるように
原爆爆心地の周辺は
外国からの旅行者が多く見られ、
日本人よりも多かったように思います。
必然であるとはいえ
外国人の皆さんの関心の高さを
身をもって感じた瞬間でした。
14歳の時に訪れた
平和記念資料館、
そして今回、
自分の存在を自覚した上で
見て感じたことは
戦争をただ「悪」としていた
あの頃とは違う
冷静な視点でした。
自らが起こした事、
起こしている事を
自らの裡に秘め
両方の立場を、
そして全体のことを
想っていました。
そして
その場に居合わせた存在全てが
78年の時を経てただ今
互いが銃を向けることなく
同じ空間で
あの時の瞬間と
今という瞬間を
重ね合わせ
その場のエネルギーを
共有することができることを
感慨深く思うと同時に
誰一人、
誰かを誹謗し、
批判することなく
多種多様な地球の民が
様々な想いを胸に
資料を注視する姿に
感謝しました。
資料館を後にし、
次の目的地へ
向かおうと歩みを進めると
『原爆死没者追悼平和祈念館』
が目に入り
一端通り過ぎましたが、
どうしても気になり
戻って立ち寄ることにしました。
呼ばれていたのは
企画展『空白の天気図』でした。
『空白の天気図』は柳田邦夫氏の著書ですが
柳田邦夫氏が監修された企画展でした。
1945年9月17日14時頃
鹿児島県川辺郡枕崎町(現:枕崎市)に上陸した台風は
太平洋戦争終結直後の日本列島を縦断しました。
室戸台風、伊勢湾台風と並んで
昭和の三大台風の一つに数えられ、
各地で大きな被害をもたらし、
死者・行方不明者3,000人超
そのうち2,000人強が広島県でした。
わたしは、著書を読んだことはありませんが
本の内容は
太平洋戦争終結直後の台風によってなぜ、
広島で被害が膨らんだのか。
原爆によって、通信も組織も壊滅した状況下で
自らも放射線障害に苦しみながら
観測と調査を続けた
広島気象台台員たちの闘いを描いた
ノンフィクションです。
枕崎台風のことは、
耳にしたことはありましたが
その事を取り立てることは
今までありませんでした。
今回、この企画展の主旨である気象台
台員の視点から見て記録された
被爆体験記をもとに
被曝の実相を明らかにするもの。
その主旨とはずれてしまう
わたしの着眼点ですが
この台風の持つ意味に着目しました。
それは誤解を恐れず申し上げるならば
その台風は、その時に
「起こるべくして起こった
必然で、最善であった」
ということです。
それは誰もが思う、
戦後直後のさらなる被災であることから
大変悲惨な出来事であることは否めません。
けれども、
大きな視点、
大局から見れば
それは、
原爆投下によってもたらされた
放射能をある程度一掃する
浄化作用になっていたという可能性です。
わたしが観ている世界は
全てが善、光に繋がる世界です。
原理上、
両極を使って全てが生み出される世界
であっても、
悪は、善から生み出され
悪は、善のパートナーであり
善へと回収されるまでの仮の姿
であるということです。
この台風の“おかげさま”
その視点も大切である事を
改めて感じました。
次の目的地は
今回
初めて訪れた場所、宇品島。
地図上でもアピールされていたことと、
また、
広島サミットの会場となった
ホテルがあることから、訪ねてみました。
宇品島にある宇品港(現:広島港)は
明治22年、難工事の末5年余りの歳月
をかけて完成されました。
当初はあまり利用されていませんでしたが、
明治27年の日清戦争を契機に軍用港として
大きな役割を果たすこととなります。
そんな歴史を持つ場所が
G7広島サミットのメイン会場となった
『グランドプリンスホテル広島』
(地上23階建→
23は今年2023年の23、
誕生日の2月23日の23、「22を超えて行け」からの23
で私にとって今年のキーワードとなる数字の一つです)
日本でのサミットの地方開催地は
2000年の沖縄を皮切りに
北海道(2008年)
伊勢志摩(2016年)
そして
今回の広島です。
21世紀に入る一年前から
日本の重要都市である土地に
世界を代表する首脳陣が集う。
これも必然です。
このタイミングで
この地を踏むことになった存在にも
それぞれの役割を感じます。
約束されたその時、
その場に置かれた想い
と周波数は大切です。
その事を思いながら、
宇品島を後にしました。
今回の広島の旅からも
ここまでの人生からも
全ては大いなるものの意図のもと
大いなる自分自身に動かされ
必要な場所で必要な時を刻んでいる事を
改めて強く感じました。
それは大いなるものの持つ意思であり、
この地球の持つ意思でもあると思います
全ての要素が大局から見れば
最善であることが分かります。
その土地が持つ
エネルギー、
周波数を一掃することは
天災であれ人災であれ
私たちから見れば
悪と思える様なことでも
この世界にとっては
意味を持つことなのです。
それは全体にとっての
最善の一点であることでもあります。
その土地、場所だけのことではなく
大きな流れの中にある宇宙規模の中の
一点であるということです。
勿論、手をこまねいて
何もしなくて良い訳ではありません。
そんな大いなる意思に対して
信頼を持ち
対策をこうじること、
事前に準備すること
それは一人一人の選択で
できることです。
その上で、起こったこと
起こることは
その時点で最善であることに
信頼を置くことが大切です。
北海道の旅を終え直ぐに、
広島、東京に行かなければ
と思い予定を立て
必然の広島の旅となりました。
そして15日からは東京です。
その日が、
『明治天皇と乃木大将〜大御心をいただきて〜』
の開催初日であることから
まさにこの時を待っていたかの様です。
2022年7月、
鹿児島市の高台、
桜島を眼前に臨む場所に立つ、
東郷平八郎の像とお墓。
それまでも何度かお参りしていましたが、
昨年7月にお参りした際は
自らの立場を理解した上で
その想いからの参拝でした。
一年前の7月に
乃木希典大将と東郷平八郎大将の
事を深く知ることとなり
その想いの尊さに涙し、
今年1月末
孝明天皇の命日に
後月輪東山陵(孝明天皇御陵)
伏見桃山陵(明治天皇御陵)を参拝した後
乃木神社を参拝しました。
15日は改めて
想いの深い再会になると感じます。
今年2023年は
明治天皇が崩御され111年。
(111=明治天皇崩御日古代kinの神秘)
そして
明治天皇が初めて鹿児島港に入港されて151年。
(151=わたしの現代kinの反対)
年数をkinに直すと
111の神秘のパートナーは150
151の神秘のパートナーは110
互いの時間を外した日のkinを
互いの神秘のパートナーkinとし
互いを神秘の統合されたパートナーとして出逢うべく
約束されていた2023年であることがわかります。
そして2023年=223が自身の誕生日であることからも
ここに焦点を当てていたことが窺えます。
この大切な年に、
時を超え
周波数として、
縁の深い存在と再会し
共に
同じ時を刻み、同じ想いを共有し
同じ世界を現象化できることに
大変有難く思います。
数年前には
到底想像していなかった
現況ですが
23年前の一つの点が
今、ここに線を結び
昨年12月の東京、横浜
1月の鎌倉、東京
1月末の京都、
2月の沖縄
5月の宮城、福島
その周波数を持って臨んだ
6月の北海道
そして今回7月の広島、
「22を超えて」
「6と7の架け橋」
全てが用意されていたと感じます。
7月最後は東京で締めくくりです。
23年前に漠然と感じていた
『何か』は
『自分自身との統合(結婚)』が
大きなテーマであり
それは『明治天皇との統合(結婚)』でした。
そしてその答え合わせのように
今回も
現象界が見せてくれました。
【行きの新幹線】
鹿児島発
みずほ600号
6号車 6番D
【帰りの新幹線】
広島発
さくら561号
5号車 8番A
帰りは
鹿児島が豪雨の為
乗っていた新幹線は熊本止まりとなり
降車することに。
結局次に入ってくる
『みずほ609号』で
鹿児島に戻ることになりました。
熊本で
足止めになる必要があったこと
それは
この
『みずほ609号』
そして、
その”みずほ609号”を待つ隣のホーム
に入ってきた博多発熊本行きの
『つばめ333号』
『609と333』
この数字を見せるため
熊本で降ろされた事を思いました。
(自分で設定している事です(笑))
鹿児島発の
みずほ600号、6号車、6番
予約した時は何も考えていませんでしたが
『666→ミロク』を
示していました。
そして、当初の帰りの便は
『さくら』でしたが変更となり
『”みずほ(日本)”のミロクの世』を
お迎えすることに対する
答えとして
『609=69=統合された”みずほ(日本)”の世』
『333=三位一体、父と子と精霊の世』
の到来を予兆していると感じました。
この日の当日kin(ガイド、類似、反対、神秘含む)は
・自身の現代kinの反対
・2022柳原崩御日現代年回りkin
・榎本武揚崩御日現代kin
・孝明天皇、大正天皇、昭憲皇太后、天皇陛下、中山愛子(明治天皇外祖母)のkin
この日の古代kin(ガイド、類似、反対、神秘含む)は
・2023自身の古代kin
・2022上皇后陛下現代kin
・2023天皇陛下古代kin
・皇后陛下サイ時間kin
・中山慶子崩御日現代kin反対
・2022柳原崩御日古代年回りkin
この日のサイ時間kinは
・中山慶子古代kinの神秘
・西郷隆盛命日現代kin
・ヤンレツェルサイ時間kin&反対
今回も、
ご縁の深い皆様の周波数と共に
お役目を達成することができたことに
心から感謝いたします。
いつの時も
その時の最善が起こる事を信頼し、
一つ一つ丁寧に寄り添い
どんな小さな事も回収できるよう
自身の最善を尽くしたいと思います。
『最後だから』
この言葉がいつも
わたしと共にあります。
その言葉を胸に。
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最後まで
お読み頂きありがとうございました!
この世界を
光も闇も
大切な存在として受け容れ
皆さんと共に
美しい世界を創造できたら幸いです!











