皆さんこんにちは!
manabeing のONです。
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日々実践し、そこから得られた氣付きや感じることをシェアする場です。
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※5月31日、仙台離陸直後の仙台湾
東北2日目は、
当初予定していた
東日本大震災で被害の大きかった石巻方面ではなく
主張してくる松島に向かうことにしました。
事前に
松島のことを調べてみると
わたしが知らない歴史を知ることになります。
松島といえば
言わずと知れた日本三景の一つです。
実際に松島を訪れるのは
今回が初めてでしたが
以前、北海道を尋ねた際
上空から観た景色が大変美しく
印象深く残っていました。
そんな松島に対するイメージは
誰もが持つ光の側面でしょう。
先ず情報を取りに行って
最初に出てきたワードが
『松島パークホテル』
でした。
現在は存在しませんが、
明治42年、
宮城県による松島を観光地として
整備する目的で計画された宿泊施設で
明治45年4月に起工され、
大正2年8月15日に開業しました。
このホテルを設計したのは
チェコ人の故『ヤン・レッツェル』氏です。
建築家としての活動の大半は日本。
東京、横浜を中心に
数多くの建物(ホテル・学校・個人邸宅など)を設計しましたが
国内の建造物で現存するのは広島県物産陳列館(原爆ドーム)を
除きほとんどが関東大震災、戦争、火災により
消失したそうです。
松島パークホテルは
海に向かって
90度に両翼を広げた
欧州で見られる
バタフライ・スタイルで
当時の水準では超豪華な建物だったようです。
太平洋戦争時は
海軍の会議所として
また戦後は
米軍の宿舎として使用されました。
昭和30年、全国国土緑化大会に
昭和天皇、香淳皇后がご出席された際は
松島パークホテルに3泊されたそうです。
設計士であるヤン・レッツェル。
まさに光と闇を経験された魂であると感じます。
自身の作品がほぼ焼失する中で
原爆の一つの象徴的建造物が
日本における彼の遺産となりました。
そういう意味において
多くを焼失したことが「闇」ならば
後世まで語り継がれることになった
光の可能性である原爆ドームが
彼を「光」へ
導くことになります。
『松島パークホテル』が持つメッセージに
『両翼を広げた』
『バタフライ・スタイル』。
建物は消失しましたが
その想い、
周波数であるメッセージ
『統合』
が託されているように感じます。
松島で
意図せず『原爆』と繋がりました。
さらに
松島で国宝となっている
『瑞巌寺(正式名称:松島青龍山瑞巌円福禅寺)』
9世紀初頭に開創された天台宗延福寺を前身とし
その時代の時の権力者、
幕府によって保護されてきましたが
室町時代には現在の宗派である臨済宗妙心寺派に属し
関ヶ原の戦いの後、
仙台藩主の伊達政宗公により
衰退化していた円福寺は復興されました。
『奥州の高野』
と言われた松島のとおり
瑞巌寺の参道の脇には
供養塔、五輪塔、戒名などが刻まれ
近くに在る
『雄島』
もまた死者を供養する場となっていました。
※『雄島』から望む、『双子島』の『亀島と鯨島』
実際訪れてみると
その場の美しい景観とは裏腹に
その土地が持つ
その場に掛けられた(掛けた)
念いの重さを感じていました。
瑞巌寺は
明治に行われた廃仏毀釈や
伊達家の版籍奉還により荒廃していましたが、
明治9年の明治天皇東北巡行に際し
瑞巌寺が行在所となったことで
明治天皇の下賜を賜り
それが復興の契機となったそうです。
ここでもまた明治天皇と繋がりました。
さらにもう一つ
明治元年9月18日
榎本武揚率いる旧幕府軍の艦隊が
『松島湾』に集結し
函館を目指すことになった場所。
戊辰戦争終焉の地、函館に繋がる場所
でもあったのです。
このような歴史を
知ることのなかったわたしが、
事前にこの情報にアクセスし
訪れることになったことは
自身によって自ら体感し受容する必要が
あったからです。
明治天皇に関わる足跡
またその時代につながる
またその時代からつながる
今ここに
必要のなくなった周波数を拾い上げ
新しい世界を創造する。
私たち一人一人は
自分自身から
送られてくるメッセージを受け取り
それぞれが受容しなければならない
周波数を
自分自身のやり方で
溶かし選択して行くことが大切です。
多くの人の想いが
集まる場所は
全国、いたるところに存在します。
私たちはその場で
何を想い、
何を求め、
何を置くのか
何を想い、
何を求め、
何を置くことも
自由です。
ただ一つ言えることは
何かに向かって行っているつもりでも
全ては自分自身に対して
行っていることなのです。
救いを求めるのであれば、
自分自身に救いを求めていることになり
現世利益を望むのであれば、
自分自身に利益を望んでいることになり
感謝の言葉を贈ることは、
自分自身に感謝を贈ることになる。
神社には鏡があります。
手を合わせ拝む先にあるのは
自分自身の姿です。
神社仏閣に関わらず
自分自身が観ているものは
全てが鏡です。
鏡は
光も闇も映します。
自分自身が観ているものが光なら、
自分自身の中にある光を観ているのです。
観ているものに
自分自身が闇を観ていると思うなら
自分自身の中にある闇を観ているのです。
鏡に映るものは
どちらも、自分自身の現れです。
どちらも、観ることが大切です。
どちらも受容することが大切です。
自分自身が
掛けた、置いた
『思い、想い、念い』。
人に対して、
土地に対して、
万物に対して、
それらは
いつか必ず
自らが回収し
受容することになります。
この松島(観ている世界)という地で
歴史を作った
自分の物語の中の
過去から繋がる登場人物(全て自分自身)の
想いとそれまでの周波数を
今を生きる自分自身が
そのバトンを受け取り
未来の自分自身にどう渡すのか、
何を渡すのか。
それは一人一人の
生き方、在り方で
創造される世界です。
物質はいつか消えて無くなります。
砂上の楼閣です。
けれども
私たちが掛ける、置く
『思い、想い、念い』
『周波数』は
永遠です。
どちらを上にすることが
この世界にとって最善なのか。
私たちの
『思い、想い、念い』
にはそれほどの責任があるのです。
今回の東北訪問は
ヤン・レッツェル、
昭和天皇、
榎本武揚、
御三方の強い想いを感じていましたが
やはり
13の月の暦に現れていました。
【5月30日当日のガイドkin182=レッツェルの古代反対kin】
【5月30日当日の反対kin247=レッツェルの古代類似kin】
【5月30日当日の古代kin72=榎本武揚の古代ガイドkin】
【5月29日当日の古代kin71=昭和天皇の古代反対kin】
さらに
3日間の旅を終えて
鹿児島空港から
車を運転し自宅に戻ると
車の燃費表示がアピールしてました。(笑)
走行時間:00:43 ⇨ 43(よみ)= 黄泉の時間軸
走行距離:43.3km ⇨ 黄泉の世界
燃費:33.3km/L ⇨ 黄泉の世界の3人と過去・現在・未来の3つの時間軸を3日間で繋いだ
総合点:71 ⇨ 昭和天皇の古代反対kin & 昭和天皇崩御日 1月7日の反対
おまけ 走行距離433ー燃費333=100 ⇨ 100=昭和天皇崩御日ガイドkin100
総合点71点、そして距離と燃費の相殺では100点
昭和天皇からO Kを頂いたようです。(笑)
おまけで
2日目の松島訪問を終え
ホテルに戻ると
窓の外には
大きな竜が…
時刻は18:39。
(39=明治天皇崩御日神秘kin)
明治天皇自ら
サンキューを届けてくれました。(笑)
サロンメンバー、随時募集中です!
『癒しと赦しと奇跡のサロン』
自分自身の内側、そしてこの世界に置いてけぼりになっている
『闇』の想いをしっかり受け止め『光』へと還す。
サロンに集うメンバーと共に、其々が自らの音を奏でながら
同じ時を刻みませんか?☺️
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最後まで
お読み頂きありがとうございました!
この世界を
光も闇も
大切な存在として受け容れ
皆さんと共に
美しい世界を創造できたら幸いです!
皆さまへ愛と感謝と祝福を贈ります!



