霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。
艱難辛苦 一 辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自らが学ばねばなりません。
それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。
そうでなければ有難いのだが、と私たち霊も思うことがあります。
しかし側の者には分からない、あなただけの密かな霊的覚醒、霊的悟り、魂の奥底からの法悦は、そうした辛い体験から得られるものです。
なぜならその艱難辛苦こそ、全ての疑念と誘惑を蹴散らし、祝福された魂として、最後には安全の港へと送り届けてくれるからです。
これも神の法則として定められた一つのパターンです。
霊的成就への道は、楽には定められておりません。
もし楽に出来ていれば、それは成就とは言えません。
楽に得られるものであれば、得るだけの価値はありません。
人をために役立つためには、それなりの準備が要ります。
その準備を整えるためには、魂の琴線に触れる体験を積み、霊性を開発し、心霊的能力を可能な限り霊的レベルまで引き上げなければなりません。
心霊的能力を備えた人は大勢います。
が、それを霊的レベルまで高めた人は多くはいません。
私たち霊が関わるのは魂そのものの才能であって、霊的身体(幽体)の持つ能力、つまり肉体の五感の延長でしかないもの(サイキック能力)には、たとえ地上の学者がどんなに面白い実験をしてくれても関心はありません。
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