苦しいことにも神が宿っている | シルバーバーチの霊訓より

シルバーバーチの霊訓より

ブログの説明を入力します。

一 病気は教訓として与えられるのだとか、人間性を築くためだとか言う人がおりますが、本当でしょうか?

「言っていること自体は正しいのですが、 “与えられる” という言い方は適切ではありません。

私たち霊と同じく、あなた方人間も法則の中で生きております。

そして病気は、その法則との調和が乱れた結果として生じるのです。

言ってみれば、未熟な魂の代償として支払わされるのです。

しかし、その支払いとはまた別の “補償” の法則もあります。

物事には得があれば損があり、損があれば必ず得があるのです。

物質的な観念からすれば得と思えることも、霊的な観点からすれば大きな損失であることがあります。

全ては進化を促すための神の配慮なのです。

教訓を学ぶ道は色々ありますが、最高の教訓の中には、痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。

それが病気という形で現れることもあるわけです。

人生は光と陰の繰り返しです。

片方だけの単調なものではありません。

喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです。

つまり、双方に神の意志が宿っているということです。

良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。

辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも神が宿っていることを知って下さい。」