父の痛みをこちらに分けてもらえたら、と思っていたのは、5年ちかく前のことだっけ。

ゆうべ、寝入りばなに、とつぜん思い出した芋名月のころの鴨川滞在。

父の手術の前日から病室に泊まり、その後ICUで2日間一緒に過ごした。父の苦痛を半分だけでも分けてもらえたら、と思って一緒にいたけれど、疲労困憊しただけでわたしのほうに痛みが来ることはなかった。

そのころからかな、右側の胃の裏あたりに違和感が出てきたのは。背中の真ん中より下のあたりだから、肝臓の位置?それとも腎臓?

痛いわけではない。ただ、いやな感じ。違和感というか、日によってはそれが不快感に変わる。強さも強弱があったり、エリアが多少変わったり。

ほかにもあれこれ体調不良があったので、しぶしぶかかりつけの病院に行ってみた。検査しましょうということになり、MRIを撮った。

腎嚢胞・肝嚢胞・膵嚢胞の細かいものがたくさんあるけれど、経過観察で良いとのこと。翌年も同じ検査をし、同じ結果だった。 

「嚢胞って、水分とか油分とか空気とかのかたまりで悪いものではないんですよ」
そしたら、固まってないで、まわりに吸収されて、うまいこと体外に排出できたらええんちゃうの。と、ドクターの説明を聞きながら内心では思っていた。

そのときに、「治療対象ではないので、日常生活で気をつけることは特にありません」と言われたので、それなら好きに過ごそう、と現在に至る。 

父が亡くなってからも、その違和感は続いたまま。 日によって強さや様子は変わるけれど、消えることはなかった。

ゆうべ、寝入りばなに、ふだん思い出しもしないそのあたりのことがぐわっと出てきた。 

父の痛みを分けてもらえなかったと思っていたけれど、違和感としてわたしの中にあるものがそれだったのかも。と気がついた。 
あー、そしたらジャンルは違えど(そしてレベルも違えど)、父の痛みを分けてもらっていたってことになるのかな。 

父がいなくなっても、違和感のみがずっと続いているのはなんでだろう。

もしかしたら、わたしは、そこに父が居ると思っているのではないか?その違和感が続く限り、父は居る、と思っているのではないか? 

次々と思いつく、突拍子もないこと。

そうなのか、そうだったのか、と腑に落ちて、眠りについた昨日。

と、いうわけで表題へ。 
目が覚めたら、すっかり雨が上がっていた。

ドラ娘のひとりごと、ならぬ、戯れ言たわごと。あー、来月は父の4回目の命日。