人身御供 こんなブログを昨日書きました。
「昨日のブログのあらすじ : 食物連鎖の頂点に居るもの達が増えすぎると都合が悪いため、自然界全体から減ってほしいと願われる。それで頂点にいる種族の社会から邪魔にされた人が輪廻転生後に刷新されて人として生まれてこなくなって減る。
人間は皆生きるために何かを犠牲にして生きている。そして生きたいと考えている。
( 仏教的な観点でいうと、「死にたい」と考えている人も実は生きようとしています。 )
共通して人社会の維持を貢献する人も人社会から邪魔だと思われている人も,皆等しく生き物を食べています。
自然界からはどちらも都合が悪い存在ですが、人間社会の中では人間社会を維持するのに邪魔な人が居なく成れば良いと思われているので、自然界からの要求に対して邪魔な人を差し出す。 」
今日はこの内容に付け加えたいと思います。
食物連鎖の人間よりも下の層は人間が一人も居なく成ればいいと思っていそうだけど、彼等の願望ばかりが叶わない。人間も生きたいと考えている。全てが妥協された状態で維持されている。
現状のこの世界は全てのものの煩悩の丁度折り合いが取れた中間点。そして同時に全てのものの真に望んだ状態ではない。
誰もが好き放題なことをすることを許されたら、誰もが好き放題することができなくなる。
好き放題どころか慎ましい生活すらできなくなるでしょう。
なので必然的に好き放題しなくなる。
だけど好き放題する人は必ず出没してくる。
その他の人はタダ社会を維持して人社会に属したいと考えている。(意識的に考えていなくてもそう考えているはずである。中には人以外に成りたいと言う人もいるかと思いますが、そのひとも、何の調理もしていない生き物を頭から食べたいなどとは考えていないと思います。)
この地上の自然界の仕組みが各々の共生によって成り立っている事に不思議だと思ったことがあるでしょう。それは各々の煩悩で説明が付きます。
煩悩。それは希求である。
植物は昆虫がいないと受粉が出来ない。
そのかわり、昆虫はその植物から蜜をもらっている。
だけどその昆虫はただ蜜が欲しいだけで受粉するために生きていると考えていはいないだろう。
そして昆虫が受粉したおかげで植物が実をつけて他の生き物の役に立っています。
だけどその植物も他の生き物の恵みになりたいわけではなく、またその実の中の種を遠くまで運んでもらいたかっただけ。
そしてその食べた生き物も実を食べたかっただけ。
各々がそう願ったらそれに応じたモノがやって来る。
だけどそのやってきたものはその願いを叶えようとなど考えては居ない。
昆虫は植物が産んだのか、それとも昆虫の願いを叶える形体に植物が変化したのか。
とにかく自然界はうまく出来すぎている。
各々の希望がまるで叶うみたいに体の機能が変化しているみたい。
煩悩が希求なら説明がつくのです。
そして煩悩を消したら涅槃する。それを逆算すればやはり、私の想像通り。
この世界は本当に都合よく出来ています。
そして人間界もそうなっているのだ。
来世も人として暮らしたいと願った人達のもとに、人社会を形成するのに都合が悪くて弾かれていく人ががやってきたのではないか。
つまり、減らす存在が選定される時、人社会を形成するのに邪魔な人がいれば、自分が選ばれにくくなるわけです。私は来世も人になりたい。人に食われたり、潰されたりする存在にはなりたくはない。
その邪魔にされる人が人の許容範囲から自動的に削減されていく人となる。
( 削減されるのは輪廻転生後の話で、その人が生きている間は現状維持のまま。)
だけどその人達は弾かれるためではなく、他人の利益に依存し、できるだけ簡単に、そして楽に他人の利益をかすめ盗りたかっただけ。
輪廻転生はオートマチックになされる( こう書くと自分の意志で輪廻転生していないように聞こえますが、実は自らの意思なのです。 )
輪廻転生は簡単に止められない。
人社会からあぶれた人も生きようとする。
人社会の維持に邪魔な存在も人社会の維持を願っているので自らの願いによって排除されていく。排除された魂は人以外の生き物のよりしろに輪廻転生して移る。
つまり人社会から都合が悪い存在はこうした経緯で食物連鎖の頂点の座から下の部位に移るでしょう。
© 西田夕夏 2018.5.10.
「昨日のブログのあらすじ : 食物連鎖の頂点に居るもの達が増えすぎると都合が悪いため、自然界全体から減ってほしいと願われる。それで頂点にいる種族の社会から邪魔にされた人が輪廻転生後に刷新されて人として生まれてこなくなって減る。
人間は皆生きるために何かを犠牲にして生きている。そして生きたいと考えている。
( 仏教的な観点でいうと、「死にたい」と考えている人も実は生きようとしています。 )
共通して人社会の維持を貢献する人も人社会から邪魔だと思われている人も,皆等しく生き物を食べています。
自然界からはどちらも都合が悪い存在ですが、人間社会の中では人間社会を維持するのに邪魔な人が居なく成れば良いと思われているので、自然界からの要求に対して邪魔な人を差し出す。 」
今日はこの内容に付け加えたいと思います。
食物連鎖の人間よりも下の層は人間が一人も居なく成ればいいと思っていそうだけど、彼等の願望ばかりが叶わない。人間も生きたいと考えている。全てが妥協された状態で維持されている。
現状のこの世界は全てのものの煩悩の丁度折り合いが取れた中間点。そして同時に全てのものの真に望んだ状態ではない。
誰もが好き放題なことをすることを許されたら、誰もが好き放題することができなくなる。
好き放題どころか慎ましい生活すらできなくなるでしょう。
なので必然的に好き放題しなくなる。
だけど好き放題する人は必ず出没してくる。
その他の人はタダ社会を維持して人社会に属したいと考えている。(意識的に考えていなくてもそう考えているはずである。中には人以外に成りたいと言う人もいるかと思いますが、そのひとも、何の調理もしていない生き物を頭から食べたいなどとは考えていないと思います。)
この地上の自然界の仕組みが各々の共生によって成り立っている事に不思議だと思ったことがあるでしょう。それは各々の煩悩で説明が付きます。
煩悩。それは希求である。
植物は昆虫がいないと受粉が出来ない。
そのかわり、昆虫はその植物から蜜をもらっている。
だけどその昆虫はただ蜜が欲しいだけで受粉するために生きていると考えていはいないだろう。
そして昆虫が受粉したおかげで植物が実をつけて他の生き物の役に立っています。
だけどその植物も他の生き物の恵みになりたいわけではなく、またその実の中の種を遠くまで運んでもらいたかっただけ。
そしてその食べた生き物も実を食べたかっただけ。
各々がそう願ったらそれに応じたモノがやって来る。
だけどそのやってきたものはその願いを叶えようとなど考えては居ない。
昆虫は植物が産んだのか、それとも昆虫の願いを叶える形体に植物が変化したのか。
とにかく自然界はうまく出来すぎている。
各々の希望がまるで叶うみたいに体の機能が変化しているみたい。
煩悩が希求なら説明がつくのです。
そして煩悩を消したら涅槃する。それを逆算すればやはり、私の想像通り。
この世界は本当に都合よく出来ています。
そして人間界もそうなっているのだ。
来世も人として暮らしたいと願った人達のもとに、人社会を形成するのに都合が悪くて弾かれていく人ががやってきたのではないか。
つまり、減らす存在が選定される時、人社会を形成するのに邪魔な人がいれば、自分が選ばれにくくなるわけです。私は来世も人になりたい。人に食われたり、潰されたりする存在にはなりたくはない。
その邪魔にされる人が人の許容範囲から自動的に削減されていく人となる。
( 削減されるのは輪廻転生後の話で、その人が生きている間は現状維持のまま。)
だけどその人達は弾かれるためではなく、他人の利益に依存し、できるだけ簡単に、そして楽に他人の利益をかすめ盗りたかっただけ。
輪廻転生はオートマチックになされる( こう書くと自分の意志で輪廻転生していないように聞こえますが、実は自らの意思なのです。 )
輪廻転生は簡単に止められない。
人社会からあぶれた人も生きようとする。
人社会の維持に邪魔な存在も人社会の維持を願っているので自らの願いによって排除されていく。排除された魂は人以外の生き物のよりしろに輪廻転生して移る。
つまり人社会から都合が悪い存在はこうした経緯で食物連鎖の頂点の座から下の部位に移るでしょう。
© 西田夕夏 2018.5.10.