猿若祭二月大歌舞伎 義経千本桜「すし屋」@歌舞伎座 | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

芝翫/歌六/時蔵/梅枝/梅花/新悟/又五郎

 

 夜の部はこれのみ幕見しました。芝翫が権太を初役だったとはちょっと意外。いがみの権太は、私の場合は仁左さまで見慣れていますが、芝翫のやり方は東京式。骨太で威勢が良くて情が厚く、悪漢だけど何かスキッとしてカッコいいという作りです。これはこれでとてもいい👍 芝翫は古典的な?💦外見なのもあり、見得も見栄え良く決まります。

 

 花道から出てきて実家の戸を開けかけたところで、中で妹お里(梅枝)弥助(時蔵)がいちゃついてるのが見え、「こいつぁとんだところへ……🫣」の第一声、太くて低くて、ちょっとガラガラしてるけど歯切れ良く、男っぽさがパッと広がります母お米(梅花)に無心するところでは、甘えるような愛嬌はそれほど見せていなくて、だからにとって権太は “可愛くて可愛くて仕方ない息子” という感じはあまりなかった(もちろん、息子の言うことは何でも信じ頼み事は何でもきいてあげちゃう老母です)。

 首実検の時は立ったまま軽く腰を落として片袖を肩に少し手繰り上げ、梶原(又五郎)じーっと睨みながら構えるという形(何かあったらすぐ梶原に向かって行くぞ😤的な体勢ね)、「相違ない」と聞いてフッと力を抜き片袖を下ろし座って頭を下げました。このあたりも鯔背な権太を感じさせます。今回は「木の実」を出さないのもあってか、そのあとの権太と妻子との別れの場では情愛や悲劇性はあまり濃く伝わってこなかったな。そもそも権太は涙を見せないし。でも、連れていかれる花道で何度も振り返る妻に「早く行け…早く行け…」と顔を動かしながら小さく呟くところ、その抑えた演技に却って泣けました😢

 そして、父の弥左衛門(歌六)に斬られてからはたっぷりで見応えありです。妻子たちが去った後を目で追いながら「引き換えの褒美を忘れちゃいけやせんぜ、お頼申しますぜ」と言っているところを、後ろから弥左衛門が短刀でグサ……😖 まず背中をひと斬りし、くるっと回って前からお腹を突き刺します。仁左さまのやり方のように「親父さんうまくいった……」と事情を説明しようとした瞬間に刺されるのではない。そういう運命の皮肉みたいのはあまり強調せず、江戸風に割とあっさり。でも述懐は丁寧で親への情愛をじっくりと聞かせる。東京式の権太も良いなあと思いました。

 

 弥助/維盛の時蔵は手慣れた安定の演技。弥助から維盛に戻ったところは、そのまろやかで優しい雰囲気はそのままで、あまり大きく変化を見せないように感じました。ここ、以前に観た錦之助の変貌(すっと背がまっすぐになって高貴さを身に纏い、奥からお里が出てくるとフッと小さく丸まって頼りなげな弥助に戻る)が素晴らしかったんでまだその記憶が残っちゃってる😆 時蔵は特に維盛としての気品の出し方、流石でした。お里の梅枝はやや品が良すぎて鮓屋の娘にはあまり見えなかったんだけど安定の演技。弥助相手に夫婦ごっこをするところは愛らしさがあり、弥助の正体と本音を知ってからの嘆きと諦めはいじらしくて泣かせます。

 弥左衛門を何度も勤めてきている歌六。弥左衛門は元侍という説と元盗賊という説があるそうですがセリフでは言及していない(歌六さんインタヴューより)。その前の、今回は出ない「小金吾討死」でその首をスパッと一斬りして持ち帰るので、歌六さんは弥左衛門のバックボーンを “刀を扱い慣れている人” としているようです。そうした背景を持っていることを思わせる、気骨ある佇まいやセリフ。維盛と話すところでの、命の恩人である重盛公への律儀な思い、息子を刺すところでの「全てが水の泡だ、このバカ息子め!」みたいな短絡な怒りがとてもいい👏 そして、このあとの弥左衛門の気持ちの変化は凄まじいですね。自分の早計さを悔やみ、身代わりに突き出されたのは権太の妻と息子、つまり自分のたった1人の孫であることを悲しむ姿が辛かった。「木の実」や「小金吾討死」の場がなかったのは残念だけど、見応えある一幕でした。

 

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