この時期、早めの夏休みを取りまして、観劇予定は入れず、例のスポーツのお祭り関連の報道を一切シャットアウトし🚫 某所に隠遁していました。そろそろ日常に戻ろう。
作 井上ひさし
演出 小川絵梨子
高橋恵子/那須佐代子/鈴木杏/趣里/千葉哲也/佐藤誓/章平
井上ひさしの芝居はたぶん「天保十二年のシェイクスピア」しか観ていない……と思う。今回はTV放映という機会があったので観てみました。初演は1986年。
長いあらすじ→1935年、東京のとある劇場に4人の女優が、新作映画の打ち合わせのために集まってくる。人気沸騰中の新人・小春(趣里)、コケティッシュな役で売る菊江(鈴木杏)、母親モノが当たり役の駒子(那須佐代子)、大幹部女優のかず子(高橋恵子)。皆、形だけは先輩に対して腰を低くしながらも、4人ともプライドが高く、ライバル心を持って自らを誇示し、互いに嫌味を言ったり牽制したり……。
ところが監督(千葉哲也)が提案したのは、映画製作の前に、昨年の舞台の再演だった。昨年、その舞台稽古中、監督の妻であり女優だったチエ子が突然死していて、その一周忌記念興行をしたいのだと。しかたなく再演のための稽古を始める4人。すると監督は、一年前の稽古中にチエ子が飲んだコップの水に誰かが毒を入れたのだと衝撃発言、チエ子殺しの犯人を探すために4人を呼んだのだと言う。そこに刑事が現れ〈実は監督に頼まれて刑事に扮した万年下積み役者(佐藤誓)〉4人を問い詰める。4人の誰にも動機と毒物混入のチャンスはあった。しかしニセ刑事が一人ずつ尋問するたびに、他の3人は、この人に殺せるはずがない!と互いに庇い合い、4人は結束していく。
すると、刑事に扮していた下積み役者も実はチエ子に恨みを持っていて、自分が殺したと思わず白状してしまい、助監督(章平)に連れられて警察へ。これで一件落着。監督は4人に新作映画の台本を渡し、すっかり仲良くなった4人は帰っていく。1人残った監督のところに下積み役者と助監督が戻ってきて、すべては新作映画に向けて、4人に仲良く共演してもらうため、監督が打った大芝居だったとわかる。チエ子は実際に心臓発作で亡くなったのでした。
この芝居、言葉によるバトルを対等に繰り広げられる4人の女優がきちんと揃うことが大事ですね。今回の4人も役柄にぴったりで皆さんとても魅力的。それぞれの個性を見事にイメージ化した衣装も素敵だった。高橋さんはゴージャスでそこに立っているだけで存在感を発揮(ジョセフィン・ベイカーが覚えられなくてジャーマン・ベーカリーと言っちゃうお茶目な面も😆)。那須さんはとても粋で着物姿が似合っていた。杏ちゃんが超カッコよくて惚れる。趣里も個性的でキュートだけど、演技(セリフ回し、仕草、表情)にかなり癖があるのがいつも気になるんですけどね💦
戯曲としても面白かった。ブラックユーモアがかなり効いていて、4人が頻尿・尿蛋白・膀胱炎を競い合うところは笑った😂 それこそが大女優の証なんだと。
一方で、セリフのあちこちに俳優魂に触れる部分があり、演劇愛・役者愛が感じられる。映画と舞台の演技の違いを語るところでは、映画ではセリフを言うときだけカメラが役者を映してくれるけど、舞台ではセリフを言い終わっても観客は役者を見ているから、受けの演技が必要なのだと。そのとーり👍
最後、監督が新作映画の台本を一人一人に手渡すとき、それを受け取る彼女たちの嬉しさで輝く表情が素敵だった。役者としての矜持を感じさせるシーンでした。
そして、万年下積み役者の悲哀も😢 警察に連れていかれる前に彼は、演じたくてもできなかった役を列挙し別れを告げる「ハムレットよ。オセロよ。リア王よ。ロミオよ。助六よ。フォルスタッフよ。大星由良之助よ。シラノよ。メフィストフェレスよ。フィガロよ。間貫一よ。私の演じられなかった役よ、みんな元気でなー!」😭
それに対して「私たちにはまだまだやれる役がたくさんあるわね。ありがたいことだわ」と、4人の女優たちがやってみたい役を、期待を込めて口にします。かず子はサロメ、椿姫、「青い鳥」のミチル、駒子は「お夏 清十郎」「金色夜叉」のお宮、菊江は「かもめ」のニーナ、カルメン、小春はジャンヌ・ダルク、八百屋お七……。この万年下積みと人気役者の対比、井上ひさしの残酷さよ😔
小川さんの演出は手堅く、特にスポットライトの使い方が効果的でした。芝居の最後、万年下積み役者が舞台中央に立って例の傍白を繰り返すところで幕になります。そのとき助監督が彼にスポットライトを当てる……さすがに、あまりに感傷的でベタな演出に苦笑い💦
ところで、井上ひさし作品って、もしかしたら少々しつこい? 正直言うと、最後の最後に付けたプロットは余計というか、作りすぎに感じてしまった🙇♀️