「誰もいない国」@新国立劇場 | 明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 ハロルド・ピンター

演出 寺十吾

出演 柄本明/石倉三郎/有薗芳記/平埜生成

 

 分からなさがジンワリと面白い冷や汗 ピンター劇の奇妙な魅力を今回も味わいました〜ahaha* この作品はイアン・マッケランとパトリック・スチュアートが演じたロンドンの舞台を1年ほど前のNTLive(映像)で観ていて、その印象が強く残っています。今回は全くタイプが異なる役者で、もちろん演出家も違うので、果たしてどう来るか楽しみでした。

 簡単あらすじ。上質な家具のあるリビングルーム。そこの住人ハースト(柄本明)と、彼が散歩中に出会ったというスプーナー(石倉三郎)が、お酒を飲みながら雑談している。2人は初対面のようでもあり大学時代の学友のようでもあり……。話をしていくうちに2人の、特にハーストのグラスを空けるペースが早くなっていきます酔っ払い 饒舌なスプーナー、ほろ酔い気分で適当に相槌を打つハースト。会話はかみ合わず、内容は辻褄が合わず、話題は脈絡なく変わっていく。詩の話、家族の話、学生時代の話、意地の張り合い。さらに2人の(素性の怪しげな?)男が加わり、4人の奇妙なやりとりはますます混濁し、彼らのアイデンティティーや関係は捉えどころのないままで、幕 Queenly

 

 NTLiveでのアフタートークでマッケランが「これは認知症の老人の話だヨ」と言っていて、そう思うといろいろストンと腑に落ちたのですが、新国版ではハーストが浴びるようにお酒を飲んでいることに着目したような解釈/演出(シアタートークでの演出家の話)。舞台では水が象徴的に使われていました。

 リビングの向こうはハーストの寝室で(他の登場人物には見えていない)、2人が会話をしている最中に、その寝室に天井から水がポタ……、ポタポタ……と滴り落ちてくる。時間が経つに連れて水は床に溜まって湖のようになり、それがリビングの方にまでジワジワと溢れ出てきます(登場人物にはその水は見えない設定)。

 ハーストはやがて泥酔状態のようにヨロヨロと舞台を歩き回り、水の中をバシャバシャと歩いたり転んでずぶ濡れになったりする。まさにお酒に溺れている感じです。そういえば、リビングと寝室を区切る部屋の骨組みが3つ、プロセニアムアーチのようにセットされているんだけど、それが互い違いに傾いていて、酩酊状態の人の、部屋が歪んでいる、グルグル回っているように見えるという感覚を視覚化させた感じです酔っ払い

 

 舞台で繰り広げられているのは、酒浸りで意識が混濁していくハーストが他の人と交わす断片的な会話のようだけど、私には天井から断続的に滴り落ちる水は、ハーストの頭からこぼれ落ちていく記憶のように見えましたかなしい 昔の記憶も昨日の記憶も混ざり合い、その記憶の沼に埋もれていく心地よさと孤独みたいなものを、柄本明から感じた。後半、床に広がる水面に窓からの光が当たり、それが壁に反射してゆらゆらと動く映像が幻夢的。それはハーストの心/頭の中で揺れる楽しく幸せだった記憶の断片のようだったきらきら

 1幕中盤でハーストが「誰もいない国、動かない、変らない、老いることもない、いつまでも、永遠に、冷たく、静か」とぼんやり呟きます。そして2幕最後でスプーナーのセリフ「そうだ。君がいるのは誰もいない国。それは決して動かない……」。no man’s landには「誰にも支配/所有されていない土地」「物事がはっきりしない状況」という意味があるから、ハーストは心の中に時間が止まった世界を築いていて、そこのたった1人の住人になっているのかな。そこは孤独だけど平穏を享受できる、彼のモラトリアムなのかもほっ

 ハースト以外の男たちは、例えば2人の男は、アルコール依存症(あるいは認知症患者)ハーストの介護士兼雑用係、スクーナーは彼のドクターで、3人がハーストに話を合わせながら治療にあたっているということにして(勝手に笑)、でも4人の噛み合わない会話は、それぞれの孤独を感じさせます。コミュニケーションを取ろうとしてもうまくいかない、自分の言葉が却って相手を混乱させてしまう。そもそも相手が誰なのかもよくわからなくて、それでも1人では生きていけないから、みんなそこに居続けるしかない。

 

 終わるのも怖いけど終わらないのはもっと怖い、という演出家の言葉に、一瞬背筋が寒くなりました叫び とりとめがなく終わりの見えない4人の会話、ハーストの「話題を変えよう、これを最後に(今度話題を変えたらもうずーっとそのまま)」というセリフはまさにそれ。落ち続ける水、溜まっていく水、断続的な水滴音、針が飛んでリピートし続けるレコードなど、永遠に続く時間への不安を煽る演出が効いていたと思う。

 最後になったけど、柄本明はやっぱり不思議な役者さんだワパチパチ あの絶妙な間(マ)の取り方、計算しているであろう掴みどころのない動きで、舞台を支配していました。奥様(角替和枝)を亡くされたばかりの舞台で、しかも会話の中で「妻」の話題が出てくるし、ちょっと胸が痛みました泣き1

 

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