ダイヤと学ぶ日本史~諏訪一族~ | あき@旅するトリコニコ会

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『逃げ上手の若君』第2話視聴しました。時行の兄の邦時が伯父(妹が北条高時の側室となり邦時を産んだ)の五大院宗繁の裏切りに遭い処刑され時行も彼に殺される(アニメでも述べているが邦時は長男だが側室の子、時行は次男だが正室の子であり母の地位の関係で何事もなければ高時の後を継ぐのは時行の可能性が高いので宗繁は殺すなら時行の方を優先すべきだった)所を新たに配下にした2人がこれを阻止。宗繁は時行によって討たれました。史実では彼の最期は分かっていません。実の甥を褒賞目当てに敵(アニメが彼が話していた武士は史実で宗繁が密告した新田義貞の執事の船田義昌(?~1336)かもしれない)に差し出すなど不忠の極みと周囲は軽蔑。指揮官の新田義貞は彼を処刑しようと決めますがそれを察知し逃亡。友でさえ彼を見捨て餓死したといわれています。


主君時行を護る武士達?はまるで『真田十勇士』かと思ったけど今回は時行に最初に従った諏訪頼重について解説します。諏訪頼重はアニメ1話で述べているように北条家の御内人(本家である得宗家の家臣)で信濃国諏訪郡を治め諏訪大社の大祝を務めています。生年は不明ですが亡くなる時に孫がいたことから恐らく40歳代と思われます。大祝は諏訪明神と同一視され現人神として敬意を払われていました(位階も大祝は正一位で得宗北条高時の正四位下を遥かに上回る)。頼重の予言通り時行は蜂起(中先代の乱)すると頼重と息子の時継は時行に従い鎌倉を奪還。しかし足利尊氏の反撃に遭い鎌倉を奪い返されると頼重父子は鎌倉で自害しました。

時継の息子で大祝職を継いだ頼継は時行を擁し南朝に与し北朝方の信濃国守護・小笠原貞宗と抗争。しかし正平8年(1353)、時行が処刑されこともあり信濃の南朝方は弱体化し応安5年(1372)、大祝・諏訪頼貞は足利義満に服属しました。


逃げ上手の若君 諏訪頼重く


室町時代での諏訪家は一族間の内紛もあるが諏訪の領地を守り通しましたが戦国時代に入ると「甲斐の虎」武田晴信(のち信玄)の侵攻をうけ当主頼重が自害に追い込まれました。晴信は頼重の娘(諏訪御料人 1530~55)を側室とし男子をもうけました。のちに四郎勝頼(1546~82)と名乗るこの男子は武田姓ではなく諏訪姓を称し諏訪家を継ぎました。勝頼は信玄死後武田姓を称し家督を継承(長男と3男はすでに亡く次男は盲目ゆえ。だが信玄は勝頼は正式に継がせず勝頼の息子信勝が成長するまでのショートリリーフとした)。武田家滅亡後、諏訪一族の頼忠(1536~1606)が織田信長死後の混乱(天正壬午の乱)に乗じ蜂起。その後頼忠は徳川家康に仕えます。家康の関東移封にともない頼忠も関東に移住しますが息子の頼水(1571~1641)の代の慶長6年(1601)、信濃諏訪2万7千石の領主として復帰。諏訪藩主諏訪家は以後転封もなく明治維新まで存続しました。