💧 山門ですよ!ここはかつて本丸に入る門と虎口がありました
💧 本丸には瑞龍寺が建っています!
八幡城は豊臣秀吉の甥の秀次(1568~95)が天正13年(1585)に紀州攻めと四国攻めの功で秀吉に近江八幡43万石を賜りこの八幡山に居城を築城したのが始まりです。かつてここから東には織田信長が居城とした安土城がありましたが本能寺の変の混乱により城は焼失。秀吉としては八幡山城を近江国首府とするつもりで自ら築城指揮にあたったといわれています。
天正18年(1590)、秀次は尾張清洲に転封。城主は京極高次(1563~1609)に代わりました。文禄4年(1595)、秀吉は突然秀次を粛清(秀次事件)。実子である秀頼に後を継がせたかった秀吉が秀次を邪魔に感じたからとも石田三成の讒言によるもの、秀次暴君化による処分、謀反を企てていたからともいわれていますが真相は分かっていません。
秀吉は彼の痕跡を消すかの如く彼の妻子をことごとく処刑し家老も責任を問われ粛清。京の居宅である聚楽第や居城だった八幡山城を破壊。高次は大津城に移りました。なお山上にある瑞龍寺は秀吉の姉が京に建立した寺院で昭和38年(1963)にここに移転したものです。建立したのが女性で秀次事件を哀れんだ後陽成天皇が彼女を支援したことから瑞龍寺は天皇家や公家の娘が住職(門跡)を務めました(瑞龍寺は日蓮宗の寺院ですが日蓮宗の門跡寺院・勅願所(天皇や上皇の勅令により建てられた寺院や神社)はここのみ)