ダイヤと学ぶエジプト史~テュルク人の時代~ | あき@旅するトリコニコ会

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西アジア~北アフリカを領した大帝国となったアッバース朝でしたが9世紀ごろになると内紛もあり支配がゆらぐようになりました。868年、エジプト駐屯軍の将軍アフマド・ブン・トゥールーンが自立しトゥールーン朝を建国しました(カリフとは名乗らず総督・軍司令官,・部族長を意味する「アミール」を名乗った)。
アフマド・ブン・トゥールーンはアラブ人ではなく中央アジアのテュルク人の出身です。前回のおまけに掲載した改宗異民族(マワーリー)の子孫ですね。父は奴隷軍人だったとされています。アフマドは建国はしたものの独立はせずアッバース朝の傘下に留まりました。そして強力な軍隊そして海軍すらも作り上げシリアや遠くキプロス島やクレタ島を勢力圏に入れました。

しかしその後は無能な君主が続き政治は軍部に握られ国力は徐々に落ちていく(以後エジプトを支配した政権は度々この状況に陥る)とエジプトの衰退に目を付けたアッバース朝の攻撃をうけて905年にトゥールーン朝は滅亡。5代37年の短命政権でした。
その頃チュニジアではシーア派の一派であるイスマーイール派の指導者であるウバイドゥッラーが自らをマフディー(救世主・ガンダム世界でハサウェイ・ノアが称したマフティーと同じ。詳しくは「マフディーとマフティー」を参照)と称し政権を樹立。4代カリフのアリーの妻でムハンマドの娘でもあるファーティマにちなみファーティマ朝が成立しました。ウバイドゥッラーは最初からカリフを称しイベリア半島の亡命政権である後ウマイヤ朝も最盛期を築いたアブド・アッラフマーン3世もカリフを称したことから「3カリフ鼎立時代」となりました。

そのファーティマ朝がエジプトに向けて進出してきたことからアッバース朝は防衛隊を組織したものの935年、その守備隊長のムハンマド・ブン・トゥグジュが自立しイフシード朝(イフシードはアッバース朝カリフから賜った称号で王、支配者を意味する)を建国しました。ムハンマドもテュルク人の出身です。
ですが彼も完全に自立はせず半独立に留まりました。アフマドもムハンマドも完全自立はしなかったのは国は衰退していようがやはりアッバース朝カリフの権威がまだ箔付けに利用できたからだと思われます。
しかし946年にムハンマドが死ぬと国政は宦官に握られ、そこにファーティマ朝の軍隊が侵攻してきたこともあり969年、首都フスタート(カイロ)が陥落しイフシード朝は滅亡。2代34年しか続きませんでした。