余命の宣告は本人にはしない〜命の長さは誰にもわからない | 看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

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余命の告知は本人には必要ないと思います。

「余命3ヶ月です」と言われて転院してきたのに
1、2年入院してますという患者さんが何人もいらっしゃいます。

誰かが「余命3ヶ月です」といえば、3ヶ月で死ななければならないという強迫観念を本人が持ってしまうとも限りません。



もう数年前の話です。

血圧が下がり呼吸が乱れ、意識がなくなったのでもう死期が近いと思って夜中に家族を呼びました。

私は家族に、あと数時間かも・・・・・と言いました。

ところが家族が来ると、患者さんは意識を取り戻し、まる一日ぐらい息をしていました。

家族は前日の夜中からずっと付き添っていました。

また夜が訪れ、お孫さんが患者さんに対して

「ばあちゃん、もうがんばらなきていいよ。私たちもう帰るからね。」

と言いました。

すると、患者さんは間もなく息を引き取ったのです。

もう死なないと家族に悪いと思ったのかもしれません。


本人が望んだ時期に死は訪れます。

私たちはそれを無意味に伸ばしてもいけないけど、

死を待つのも悲しいことだと思った事例です。

それから私も余命について

そろそろかもとは言っても

数日や数時間など具体的な単位は言わないようにしています。