仕事の目的 | X1号の人生再出発

X1号の人生再出発

バツイチという表現は好きではないので「エックス・ワン →X1」と言おうかなと思います。
離婚後の日常を綴っていこうかなと思います。

彼女は介護関係の仕事をしているが、昨年セクションが変わり、障害や認知症の担当となった。しかも彼女のセクションは言葉は悪いが、物で言うと最終処分場、他施設で面倒見れないような少し訳ありな入所者が比較的多いとのことだ。入所者の暴力で職員が骨折しても、警察には通報せず職員が泣き寝入りすることもあったとのことだ。

 

通常の入所者と比べて、彼女のセクションの入所者では、職員の介護の仕方も雑になるとのことだ。認知症でまともに意思疎通ができない人もいる。俺もそれは仕方がないと思う。施設内の話を聞いた時、俺は人ではなくて動物園みたいだと言うと、確かに職員の中でも動物園と言う人がいるとのことだ。こういう入所者のいる介護現場もあるのだ。

 

彼女は通常の入所者と同じように、今のセクションでも丁寧に介護するので仕事のスピードが他の人より遅くなり、注意されることがあるようだ。それもストレスになっているようだ。

 

同じ人間を扱っているという彼女の気持ちは理解できるが、ただでさえ人出不足の介護現場なので、適当でもやるべきことをやらないといけないのである。冷たい言い方だが、他の職員と同じようにどうせ認知症なんだからという割り切った気持ちで事務的にやらないと、仕事が遅れるだけなのである。

 

俺も疑問に思うような細かい記録をつける作業も、彼女のセクションの職員によっては手抜きをして入力するようだ。俺もそれは賛同した。その記録の意味合い、そこまで細かく記録して何になるのかを考えたら、俺もそんなのは適当でいいと思ったので、それは彼女にも意識を変えた方がいいと言った。それだけでも仕事の負担が少しは減るからである。

 

前にも書いたが、俺は自分の会社でも上の人間が命じた仕事に対して、その仕事の意味合いというか必要性を聞く時がある。時にはそれで命じられた仕事の内容を変更させる時もある。別にうちの会社だけではないし、客先、彼女の職場を含め、日本ではこのような無意味・無駄な仕事が多々あるのだ。その仕事・業務は本当に成果・効果・意味合いがあるのかを考え、仕事のリストラをすれば、仕事の負担が多少は減るはずである。

 

まあ俺は相当前、今の社長が社長になる前に営業員に命じた仕事に対し、俺は当時の直属の上司を通して、その(くだらない)仕事をしたことによって何が得られるのかを説明してほしいと要求したら、そのままその仕事がなくなったことがある(苦笑

くだらない仕事なんてその程度である。