第百二十六話 | X1号の人生再出発

X1号の人生再出発

バツイチという表現は好きではないので「エックス・ワン →X1」と言おうかなと思います。
離婚後の日常を綴っていこうかなと思います。

今年の梅雨は雨が多く、しかも気温もあまり上がらない日もあり、記憶にないぐらい久々に梅雨らしい梅雨になっている。梅雨が明ければ、雨の日も減り暑い日も多くなるので、毎日の庭の水やりが欠かせなくなるが、平日はダメ妻、休日は俺が水やりをしている。

 

我が家は2階が8畳×3部屋なのだが、庭はそれほど大きくないので、庭に水道がない。。なので、基本的には家の中でじょうろに給水をしているのだが、今年から手間と効率を考え、昨日俺は新たなことを考えた。

 

 

じょうろをきれいに洗い、浴室に吊るしておくのである。だいたい俺が最後に風呂に入るので、浴室から出る際にじょうろに風呂湯を入れておくのである。そうすれば、翌日の夕方には水の状態になっているし、残り湯を有効活用できる。(洗濯でも使っているが、必ず残り湯は余る。)じょうろは確か4リットル?なので、蛇口からじょうろに給水する時に多少時間がかかるのだ。

 

昨晩、ダメ妻が風呂に入る時、この状態に気づき、じょうろを洗面所に置いたのだ。確かに始めは違和感はあるが、じょうろは割と高い位置にあるので、座って洗う時もあまり視界には入らない。現に一番始めに風呂に入った上の子供も気づいてはいたようだが、何とも言わなかった。下の子供も別に邪魔くさいとは思わないと言っていた。

 

ダメ妻みたいにだらしなくて、リビングの床に服や物が放置されていても気にならない人間が、なぜ浴室のじょうろには過敏に反応するのだろうか?それは、ダメ妻は普段と違うことが起こると、これまでの状態に戻そうとするのだ。このような事例はこのブログでけっこう書いてきた。だから昨日も書いたが、アスペルガー症候群なのでないかと思うのだ。

 

確かに浴室にじょうろは一般的にはあり得ないし、違和感はあるが、俺や子供は全く気にならない。というより、風呂は座って洗うので、じょうろが視界にもろに入ることはない。浴槽に浸かっている時はほぼ視界には入らない。逆に夕方の水やりが少し楽になるし、捨てる水を有効活用できるのである。

 

さて、今夜のダメ妻はじょうろをどうするだろうか?