第二十八話 | X1号の人生再出発

X1号の人生再出発

バツイチという表現は好きではないので「エックス・ワン →X1」と言おうかなと思います。
離婚後の日常を綴っていこうかなと思います。

昨日は昨年亡くなった母の誕生日だった。
別件でたまたま古いメールを探していたら、4年前の母のメールを見つけた。
別に誕生日だからといって物を贈ったりとかはしていなかったが、とりあえず
メールだけは送っていた。

2011年のメールには、「高齢者の仲間入りです。よく生きていられたと思うヨ。
・・・(以下省略)」とあった。この時でガンを患ってから13年だった。
16年に及ぶガンとの闘病は、前にも書いたので省略するが、運もあったとは
思うが、それ以上に本人の気力が強かったことが一番だと思う。
肺がん末期にもかかわらず、未明に亡くなる日の午前中まで酸素マスクを
外して自力でトイレに行くぐらいだ。

抗がん剤の治療では、気持ち悪くて食欲がなくても、本人は無理して食べていた
と言っていた。確かにガンで亡くなった人は痩せてしまった人が多いが、母は
全くそんなことはなかった。まあ、初めてのガンでの8~9時間に及ぶ大手術の
翌日には、すぐに病院内を歩き回っていたようである。それだけ、気を強く保つ
ようにしていたらしい。(普通の人は、そういう気力はないみたいである。)


かくいうダメ妻はと言うと、昨日同様、喉の痛みがあるようで、俺が帰宅後も
重病人のような雰囲気だった。(笑
別に不満はないが、夕飯もいつもより簡単に済ませていた。さぞ、具合が悪いのか
と思ったが、風呂から上がってすぐに寝るわけでもなく、普通にテレビを観ていて
普段通りの21時過ぎに就寝したのである。(笑
昨日も書いたが、普段から無気力な人間が、さらに無気力オーラを出しているので、
本当にバカっぽく見えてしまう。

ダメ妻は扁桃腺が腫れて高熱を出したことがあるのだが、今回もまだ病院には行って
いないので、扁桃腺のせいで高熱を出されたらやっかいである。
ずっと前にも書いたが、どうしようもないバカなダメ妻は、調子が悪いのにダメ妻の
家族が来るので病院にも行かず、喉が悪化してから病院に行き、旅行に行けなかった
ことがある。その時は俺と子供2人で父子旅行になったのである。俺は、かえって物凄く
楽しかったし、子供もダメ妻がいなくても全く寂しそうではなかったし、子供もかなり
楽しんでいて、本当にいい思い出になった。(笑