【隠蔽された加害者責任】終戦69年特別企画『封印された毒ガス戦』 | Down to the river......

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前回に続き、今年の終戦特別企画のドキュメンタリー番組の中で、印象に残った番組をご紹介します。



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今回は、歴史の中で隠蔽された日本(そしてアメリカ)の「加害者責任(戦争犯罪)」の闇についてです。





「21世紀最悪の化学兵器攻撃による大虐殺に世界は戦慄した」
「化学兵器の使用は人間の尊厳に対する挑戦である」
シリア政府軍が神経ガス・サリンを使用し市民を大量虐殺したとして、去年9月、懲罰的な軍事攻撃を行うべきだと主張したオバマ大統領。 毒ガスなどの化学兵器・・・それは核兵器や生物兵器と並ぶ非人道的な大量破壊兵器だ。


そもそも、その残虐性から第一次世界大戦の頃から国際法違反の「戦争犯罪」だったはずの化学兵器。 しかし、戦後も規制されず拡散していった原因の一端は、日本とアメリカによる毒ガス戦隠蔽工作にある。 歴史上、毒ガス兵器を最後に大量使用したのは旧日本軍である。 にもかかわらず、なぜ歴史学者ですら日本軍は毒ガスを使用しなかったと信じたのか? 今、新たな証言や証拠を発掘し、日本軍による毒ガス戦、そして毒ガス人体実験の全貌に迫る。 


一方、ルーズベルト大統領自ら毒ガス使用禁止を明言していたアメリカ自身も、1945年秋から日本本土上陸に備えて、毒ガス先制攻撃する極秘作戦の準備を進めていた。 ターゲットは九州各地33カ所、ユタ州の実験場でB25から毒ガスを散布して訓練が行われた。 日本の降伏によって対日毒ガス戦は幻に終わるが、戦後、アメリカはある理由から日本軍の毒ガス使用という戦争犯罪を訴追せず、歴史の闇に葬った。
結果、今も少なくとも30~40万発の毒ガス弾が土中や海中に遺棄されたままで、被害者が絶えない現実がある。 番組では日米双方で関係者を徹底取材、封印された毒ガス戦の真相を検証する。 それはけっして遠い過去の話ではなく、戦後69年が経った現代の問題でもあるからだ。







『封印された毒ガス戦』①






『封印された毒ガス戦』②






感想を簡単に。

日本の〝加害者責任〟については、このブログでも映画監督の「大島渚」さんが厳しく問いかけ続けていたことを紹介しました。



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その中でご紹介した映画監督の「是枝裕和」さんの言葉が蘇って来たので、最後にその言葉を僕の感想の代わりとして再掲載します。





被害意識だけを語るようになってしまった日本人に対して、
「君たちは加害者なのだ」と突きつけている。


—— 是 枝 裕 和