日本人たちよ、これでいいのだろうか?——〝反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』〟 | Down to the river......

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明日1月19日は「沖縄県名護市長選挙」の日です。

2月9日の東京都知事選挙と並んで、今後の日本の未来を左右させるかもしれない、とても重要な選挙です。

果たして、そのことをどれだけ多くの日本人が自覚しているのでしょうか?





2013年1月15日に映画監督の「大島渚」さんが亡くなられてから1年が経ちました。



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逝去から1年ということで、1963年テレビで放送された幻の名作ドキュメンタリー『忘れられた皇軍』のノー・カット放送と、常に怒ることで有名だった大島渚さんの「怒りの本質」に迫ったドキュメンタリー番組が、1月12日の深夜にテレビ放映されました。





反骨のドキュメンタリスト
大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃   55分枠

放送    : 1月12日(日)24:50~
ナレーター : 永田亮子
制作    : 日本テレビ
再放送   : 1月19日(日)11:00~
      BS日テレ
      1月19日(日)18:00~
      CS「日テレNEWS24」

2013年1月、大島渚監督が逝った。「大島渚は不器用で、反国家むきだしにして体を張って闘っていた」そんな大島の魂がこめられたドキュメンタリーが、日本テレビに遺されている。『忘れられた皇軍』(1963年放送) 日本軍属として戦傷を負い、戦後、韓国籍となった旧日本軍の兵士たち。片腕と両眼を失った白衣の傷痍軍人が何の補償も受けられぬまま、街頭で募金を集める…大島は一体何を訴えようとしたのか?当時の制作スタッフや妻・小山明子の証言からひもとき、テレビと映画2つのフィールドで活躍する是枝裕和監督や同時代を生きたジャーナリスト田原総一朗と共に考える。50年を経た今、大島の映像は少しも古びることなく、見る者を激しく揺さぶる。テレビを考え抜いた映画監督、大島の遺言とは?






大島渚監督が生きていたら、今の日本、現在の安倍政権がどのように目に映り、どのような「怒り」をもって抵抗していたのだろうか?——と思えて来たので、興味深く番組を拝見しました。

僕と同世代の映画監督「是枝裕和」さんが、その答えを的確に表現していたのが大変印象的でした。

今の日本(社会)は非常に危険な方向へと舵を切ろうとしているのではないのか?

大変考えさせられる内容のドキュメンタリー番組でした。

是非多くの方々に観ていただき、今の日本社会を考え直してもらいたいと思いますm(_ _)m。




反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃





社会全体の中で「多様性」が失われて来ていて、特に今の政府になってから、人々の心情がナショナリズム——保守ではない——に回収されて来ている。

それがある種の「救い」になってしまっている。

それは非常に危険なことだ。


—— 是 枝 裕 和






果たして「日本はこのままで良い」のでしょうか?

このまま「なし崩しに」原発の再稼働・輸出……。

「なし崩しに」辺野古の埋め立てと普天間米軍基地の移設……。

「なし崩しに」愛国教育を強いる教科書検定の改定……。

「なし崩しに」国連を含め世界中から非難されている「特定秘密保護法」の年内の施行……。

「なし崩しに」「共謀罪」の創設……。

「なし崩しに」「集団的自衛権」の行使の容認……。

2014年は日本にとって重要な分岐点となる年だと思います。

社会(政治)への「無関心」や「思考停止」は、将来大きな禍根を残すことになりはしないのだろうか?

だからこそ、僕も日本人の皆さんに今改めて問いたいのです。





日本人たちよ、私たちよ、これでいいのだろうか?

これでいいのだろうか?


—— 大 島   渚





そして次の言葉は、日本人だけでなく世界中の人たち——特に、実体は保守ではなくナショナリズムでしかないネトウヨ(ネット右翼)——へのメッセージ(遺言)だったのではないでしょうか……。





自己を燈火とし、
自己を拠りどころとするがよい。

他のものを拠りどころとしてはならない。

真理は自分の中に見つけるものだ。


—— 大 島   渚