【第51回ギャラクシー賞受賞】〝反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃〟 | Down to the river......

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2014年1月8日のエントリーでご紹介したテレビ・ドキュメンタリー「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」が、第51回「ギャラクシー賞」の奨励賞を受賞したそうです。



◆ NNNドキュメント’14 - 第51回ギャラクシー賞 受賞結果




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◆ 日本人たちよ、これでいいのだろうか?——〝反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』〟|Down to the river......




「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」のテーマ(目的)は、映画監督の「大島渚」さんの〝怒り〟の源は何か、を追求・検証することだろうと思います。

個人的な感想を言わせてもらえれば、上記のテーマからの作品としての完成度は、決してそれほど高くはないように思えます。

それでも尚、現在を生きる日本人にとって、忘れ去られた重要なメッセージ(怒り)が託されています。

同ドキュメンタリーの中で、同じく映画監督の「是枝裕和」さんが、見事に大島監督の怒りの本質を言い当てています。





被害意識だけを語るようになってしまった日本人に対して、
「君たちは加害者なのだ」と突きつけている。


—— 是 枝 裕 和





昭和から平成に変わって現在、日本人の「加害者意識(責任)」は、社会の右傾化に伴い、右翼のタカ派・ネトウヨが「自虐的歴史観」として喧伝することで、言論界・メディアから黙殺される傾向が強まっています。

「自虐的歴史観」が示唆するものは、極論すれば、人間には2種類あって、完全な加害者と完全な被害者のみである——と言わんばかりの、過激で単純すぎる二元論の価値観です。

果たしてそうでしょうか?

素直な気持ちで過去の歴史を学べば、人間はどんな人であれ「常に加害者であり、かつ被害者でもある」存在のはずです。

神ではないので、人間は常に過ちを犯し、他人の過ちから被害を受けます。

だからこそ、人間は常に「悔い改め」、謝罪する謙虚さが必要なはずです。

繰り返しますが、人間は神ではないのですから……。

今の日本人には、そういう「人間存在の根本に対する認識」が薄れているように、大変危惧してしまうのです。

そういう訳ですので、2014年1月8日のエントリーを以下に再度掲載させて頂きます。

そこには、日本が果たすべき大きな課題が浮き彫りになっているように感じます。

是非、ご拝読をお願いしますm(_ _)m。




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明日1月19日は「沖縄県名護市長選挙」の日です。

2月9日の東京都知事選挙と並んで、今後の日本の未来を左右させるかもしれない、とても重要な選挙です。

果たして、そのことをどれだけ多くの日本人が自覚しているのでしょうか?





2013年1月15日に映画監督の「大島渚」さんが亡くなられてから1年が経ちました。



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◆ 【訃報】大島渚さん死去:〝愛のコリーダ〟、〝戦場のメリークリスマス〟……他|Down to the river......




逝去から1年ということで、1963年テレビで放送された幻の名作ドキュメンタリー『忘れられた皇軍』のノー・カット放送と、常に怒ることで有名だった大島渚さんの「怒りの本質」に迫ったドキュメンタリー番組が、1月12日の深夜にテレビ放映されました。





反骨のドキュメンタリスト
大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃   55分枠

放送    : 1月12日(日)24:50~
ナレーター : 永田亮子
制作    : 日本テレビ
再放送   : 1月19日(日)11:00~
      BS日テレ
      1月19日(日)18:00~
      CS「日テレNEWS24」

2013年1月、大島渚監督が逝った。「大島渚は不器用で、反国家むきだしにして体を張って闘っていた」そんな大島の魂がこめられたドキュメンタリーが、日本テレビに遺されている。『忘れられた皇軍』(1963年放送) 日本軍属として戦傷を負い、戦後、韓国籍となった旧日本軍の兵士たち。片腕と両眼を失った白衣の傷痍軍人が何の補償も受けられぬまま、街頭で募金を集める…大島は一体何を訴えようとしたのか?当時の制作スタッフや妻・小山明子の証言からひもとき、テレビと映画2つのフィールドで活躍する是枝裕和監督や同時代を生きたジャーナリスト田原総一朗と共に考える。50年を経た今、大島の映像は少しも古びることなく、見る者を激しく揺さぶる。テレビを考え抜いた映画監督、大島の遺言とは?






大島渚監督が生きていたら、今の日本、現在の安倍政権がどのように目に映り、どのような「怒り」をもって抵抗していたのだろうか?——と思えて来たので、興味深く番組を拝見しました。

僕と同世代の映画監督「是枝裕和」さんが、その答えを的確に表現していたのが大変印象的でした。

今の日本(社会)は非常に危険な方向へと舵を切ろうとしているのではないのか?

大変考えさせられる内容のドキュメンタリー番組でした。

是非多くの方々に観ていただき、今の日本社会を考え直してもらいたいと思いますm(_ _)m。




反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃





社会全体の中で「多様性」が失われて来ていて、特に今の政府になってから、人々の心情がナショナリズム——保守ではない——に回収されて来ている。

それがある種の「救い」になってしまっている。

それは非常に危険なことだ。


—— 是 枝 裕 和






果たして「日本はこのままで良い」のでしょうか?

このまま「なし崩しに」原発の再稼働・輸出……。

「なし崩しに」辺野古の埋め立てと普天間米軍基地の移設……。

「なし崩しに」愛国教育を強いる教科書検定の改定……。

「なし崩しに」国連を含め世界中から非難されている「特定秘密保護法」の年内の施行……。

「なし崩しに」「共謀罪」の創設……。

「なし崩しに」「集団的自衛権」の行使の容認……。

2014年は日本にとって重要な分岐点となる年だと思います。

社会(政治)への「無関心」や「思考停止」は、将来大きな禍根を残すことになりはしないのだろうか?

だからこそ、僕も日本人の皆さんに今改めて問いたいのです。





日本人たちよ、私たちよ、これでいいのだろうか?

これでいいのだろうか?


—— 大 島   渚





そして次の言葉は、日本人だけでなく世界中の人たち——特に、実体は保守ではなくナショナリズムでしかないネトウヨ(ネット右翼)——へのメッセージ(遺言)だったのではないでしょうか……。





自己を燈火とし、
自己を拠りどころとするがよい。

他のものを拠りどころとしてはならない。

真理は自分の中に見つけるものだ。


—— 大 島   渚