集団的自衛権行使容認への抗議の焼身自殺未遂事件と、タルコフスキーの『ノスタルジア』 | Down to the river......

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昨日新宿で起きた〝焼身自殺未遂事件〟は、見事なまでに日本の大手メディアはほとんど報道していません——つまり、自主規制という情報統制がなされているようだ——が、海外メディアは強い関心を持って報道しています。




新宿・焼身自殺未遂、多くの海外メディアが報道






僕はちょうど昨日、集団的自衛権反対の新宿のデモに参加していたので、デモの後にこの事件について知りました。








映画を観てない方は良く真意が理解できないと思いますので、ブログの方で簡単に「アンドレイ・タルコフスキー (Andrei Tarkovsky)」監督の『ノスタルジア』の該当のシーンについて言及させてもらいます。



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 一九八六年に癌で死んだ、この映画監督が、それに三年先だってイタリアで作った『ノスタルジア』。そこにローマのカンピドリオ広場の、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像にのぼった狂気の男が演説するシーンがある。男の言葉は、確かに今日の世界についてのタルコフスキー自身の思想をつたえていた。

〔中略〕

 しかしそれは文字のかたちで採録されたシナリオについて見ると、説得力のない、むしろパロディ的なせりふと感じられる。


《どこに生きる? 現実にも生きず、想像にも生きぬのなら。天地と新しい契約を結び、太陽が夜かがやき、八月に雪を降らせるか? 大は滅び去り小が存続する。世界は再び一体となるべきだ。ばらばらになりすぎた。自然を見れば分る事だ。生命は単純なのだ。原初に戻ろう。道をまちがえた所に戻ろう。生命のはじまりに! 水を汚さぬ所にまで! 何という世界なんだ。狂人が恥を知れと叫ばねばならぬとは!》(シネ・ヴィヴァン版)


〔中略〕

 つづいてトスカーナ地方の保養地の、水をはらった温泉の底を、風に吹き消されるマッチの火を掌でかこいながら、幾たびも横断を試みる中年男。かれはマッチの火をつけたまま渡りきることで、狂気の老人とかわした約束を果たそうとしているのだ。

〔中略〕

 一行のせりふも説明せぬ、マッチを掌でかこっての愚かしいような試みを、僕らは狂気の老人の叫んだ世界恢復へのねがいに結ぶ。この単純だが困難な歩行にあわせて、男とともに息がつまりそうになる。火をともしたままの横断を男がついになしとげた時、僕らは日頃経験した覚えのないほどの巨大な達成感とともに、「生命のはじまり」への、和解にみちた出なおしを実感する。映像が示す圧倒的なリアリティーのほかには、そのいかなる証拠もないのに……


via: 『新しい文学のために』大江健三郎著








愚かな狂人ドメニコは正に「トリックスター」の役割を与えられていますが、昨日の新宿で焼身自殺未遂事件を起こした男性も、この世界にとってもしかしたらトリックスター的な意味合いがあるのかもしれない……。

そう思うと、愚かしいが彼の行動を単純に、「目立ちたがり屋」とか「常軌を逸している」等の批判を軽々しく口にすること自体が〝本当に愚かしい行為〟のような気もします。

映画『ノスタルジア』の該当のシーンは次です。

僕が言っていることが見当違いかどうか、是非ご確認ください。




Andrei Tarkovsky-- Bir Delinin Haykırışı--Nostalghia(Türkçe Altyazı)-Farid Farjad-






Nostalgia (Andrei Tarkovsky)






Nostalghia Final Scene