【言志耋録 65条より】
聖賢(せいけん)は
胸中(胸中)灑落(しゃらく)にして
一点の汚穢(おわい)を著(つ)けず
何の語か尤(もっと)も能(よ)く
之れを形容する
曰(いわ)く
「江漢以て
之れを濯(あら)い
秋陽(しゅうよう)以て
之れを曝(さら)す
皜皜乎(こうこうこ)として
尚(くわ)う可からざるのみ」
と
此の語
之れに近し
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聖人や賢人の
胸中はさっぱりとしていて
一点の汚れもない
何ん
という言葉が
最もよくこれをいい表わしているだろうか
それは
『孟子』
滕文公上篇にある曾子が
孔子の高潔な人格を称讃した言葉に
「揚子江や漢水の清らかな水で洗って
秋の日にさらした布のように
皜皜乎として潔白なことは
何物もこれにまさることが出来ない」
とあるが
この言葉が
聖賢の胸中を表わすに近いと思う
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あなたは
清らかな水で洗い
日にさらしたように
胸中をさっぱりと
させることができます